平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレール『悪の華』韻文訳――013「旅のボヘミアン(1861年版)」

旅のボヘミアン1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
熾烈に瞳を燃え立たせた予言者たちの部族は、
昨日旅路についた。一行の女たちはてんでに
小さな子をおぶったり、その見上げた食欲に、
垂らした乳に常備した宝を委ねたりしていた。
 
彼女らが身を寄せあって乗る荷馬車のそばで、
担いだ武器を光らせて、徒歩で行く男たちは、
不在のキマイラたちへの陰鬱な愛惜のせいで、
動きの鈍くなった眼に、空を散歩させていた。
 
砂に覆われた小部屋の奥に潜む、コオロギが、
彼らが通るのを見るなり、歌声を倍にすれば、
彼らを愛するキュベレーは、緑を広がらせて、
 
岩場に川を流れさせて、砂漠に花を咲かせて、
この旅人たちを迎えるが、彼らの行く先には、
なおも見慣れた未来の闇の帝国が展けていた。
 
 

BOHÉMIENS EN VOYAGE

 
 
La tribu prophétique aux prunelles ardentes
Hier s’est mise en route, emportant ses petits
Sur son dos, ou livrant à leurs fiers appétits
Le trésor toujours prêt des mamelles pendantes.
 
Les hommes vont à pied sous leurs armes luisantes
Le long des chariots où les leurs sont blottis,
Promenant sur le ciel des yeux appesantis
Par le morne regret des chimères absentes.
 
Du fond de son réduit sablonneux, le grillon,
Les regardant passer, redouble sa chanson ;
Cybèle, qui les aime, augmente ses verdures,
 
Fait couler le rocher et fleurir le désert
Devant ces voyageurs, pour lesquels est ouvert
L’empire familier des ténèbres futures.
 
 

Les Fleurs du mal (1861)/Bohémiens en voyage - Wikisource


 
 ボードレール悪の華』第13の詩「旅のボヘミアン」の韻文訳が完成した。解説に手間取って、思った以上に時間がかかってしまった。今回はとにかくキマイラ(chimères)が手強かった。時間をかけた甲斐もあり、なんとか正体を突き止めたので、どうか最後までおつきあいいただきたい。
 


韻 文 訳
悪 の 華
シャルル・ボードレール
平岡公彦訳


トップページ

 
 今回もタイトルの解説からはじめよう。旧訳では「旅行くジプシー」としていたのだが、原文の表記はご覧のとおりBOHÉMIENSだし、イギリスのロックバンド、クイーンの伝記映画ボヘミアン・ラプソディ(2018年)が世界中で大ヒットしたことだし、今回のタイトルに改めることにした。
  
 ボヘミアンとは、ジプシーと同じく、現在はロマと総称されている、ヨーロッパ各地で放浪生活をしていた少数民族の俗称である。最初にフランスに流入してきたロマが、現在のチェコにあるボヘミア地方からやってきたことからこの呼び名がついたそうだ。だが、実際にはロマはボヘミアにルーツをもつ民族ではなかったそうなので、Bohémienの訳語は、ボヘミア地方の住民と区別するためにも、「ボヘミア人」ではなく「ボヘミアン」とするのがふさわしいだろう。
 

 
 ちなみに、フランス語の原音に近づけるなら「ボエミヤン」とすべきかもしれないが、クイーンの映画が大ヒットする以前から、日本ではすでに「ボヘミアン」という呼称のほうが定着しているため、採用しなかった。ボヘミアンという呼び名は、同じくフランス語起源のデラシネ(déraciné=根なし草)と同じく、社会の規範には囚われず、自由奔放な生活を送る人々を指す言葉としても使われており、しばしば芸術家の理想像とも重ねられてきた。
 
 言うまでもなく、ボードレールの「旅のボヘミアン」も、そうした芸術家象を投影した作品として読むべき詩である。
 

灯台」から受け継がれたトーチ

 
 ボードレールの「旅のボヘミアン」は、ジャック・カロの版画ボヘミアン(1621年頃)をモチーフとした作品であるとする解釈が通説となっている。
 


 
 カロの版画と見比べてもらえばわかるように、第1連から第2連の2行目までの描写は、『しんがり』からピックアップしたものであることは明らかだろう。だが、そうした描写の共通点以外にも、ボードレールは、この詩が美術作品をモチーフとしたものであることに気づかせるためのサインを、第1連に書き加えている。
 
 そのサインとは、原文1行目にあるardentes(アルダーント)である。この形容詞は、同じく過去の偉大な芸術家たちの作品をオマージュした灯台の最終連にも登場する。
 

それというのも、主よ、まさしくこれこそが、
われらが尊厳を示しうる最良の証言たるもの。
時代から時代へ流転し、あなたの永遠の岸辺へと
打ち寄せて消えていく、この熾烈なる嗚咽こそが!

ボードレール『悪の華』韻文訳――006「灯台(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

Car c’est vraiment, Seigneur, le meilleur témoignage
Que nous puissions donner de notre dignité
Que cet ardent sanglot qui roule d’âge en âge
Et vient mourir au bord de votre éternité !

Les Fleurs du mal (1861)/Les Phares - Wikisource

 
 これまでも見てきたように、悪の華』においてボードレールは、共通の単語を媒介にして詩作品同士につながりをもたせ、相互の詩の解釈を補完したり、さらに展開させたりしている。それが、『悪の華』に地下茎のように張りめぐらされた「秘密の建築」の骨格をなしているのだ。
 
 旅のボヘミアンたちの瞳に宿った熾烈な炎のゆらめきは、「灯台」の墓碑銘に刻まれた「熾烈なる嗚咽(ardent sanglot)」と呼応している。ボヘミアンたちの瞳のardentesは、偉大なる芸術家たちから受け継がれたトーチであり、その魂を宿す者である徴にほかならないのだ。ここにも魂の転生のテーマがしっかりと織り込まれていたというわけだ。「前世」の次に置かれた詩なのだから、当然と言えば当然だろうが。
 
 それでは、ボヘミアンたちが芸術家たちの生まれ変わりだとすると、この詩の第1連からどのような寓意を読み取るべきだろうか。赤子の世話を焼く母親たちと「祝福」のわが子を憎悪する母親との対比も見逃せないが、それ以上に注目すべきは、やはり4行目の詩行「垂らした乳に常備した宝(Le trésor toujours prêt des mamelles pendantes)」だ。
 
 母親が赤子に与える乳が、詩人のインスピレーションのメタファーであることはだれにでもわかるだろう。問題は、それがどんなインスピレーションかだ。そこで考慮するべきなのは、母親たちの境遇である。ボヘミアンの女性たちは、占い師をしたり、フラメンコの起源ともなった歌や踊りや、サーカスや大道芸を披露したりして生計を立てていたが、その暮らしぶりは極めて貧しかった。そのため、物乞いや売春をして生活する者も少なくなかったという。
 
 一見自由で、華やかにさえ見えるボヘミアンの生活は、不幸と表裏一体のものだった。そのような不幸な女たちこそが、ボードレールが偏愛したミューズたちにほかならない。そんなボヘミアンの女たちの「垂らした乳(mamelles pendantes)」とは、「読者に」の骨董品の淫売の「虐げられてきた乳房(Le sein martyrisé)」*1や、「魂を売るミューズ」の大道芸人の女の「男の好餌(appas)」*2と同じく、不幸の象徴である。
 
 というより、それらはボヘミアンの女たちを詠んだ詩句以外のなにものでもあるまい。「魂を売るミューズ」の「飲まず食わずの大道芸人(saltimbanque à jeun*3)」という詩句がそれを暗示しているし、当時のフランス人ならば、サルタンバンク(saltimbanque)と聞けば真っ先にボヘミアンを連想したにちがいない。ここでは一例として、ボヘミアンのサルタンバンクを描いた、ボードレールと同時代の画家ギュスターヴ・ドレの油彩画『曲芸師たち(Les Saltimbanques)』(1874年)を挙げておこう。
 

 
 ウィキペディアの解説のとおり、傷ついた子供を抱きしめる母親の肌の色と服装、それに加え、その足下に思わせぶりに並べられたトランプから、彼女たちがボヘミアンであることがわかる。それにしても、こうした正視に耐えないほど見事な不幸の美を描いた作品を見ると、ボードレールの美意識は彼独自のものではなく、当時の時代精神のようなものだったのだろうかと考えさせられる。
 
 女たちの不幸は、『悪の華』の背徳の詩人にとってまさに「宝(Le trésor)」であり、そこから搾り出された乳は、至上のネクタル(le nectar*4)にほかならない。そのように女たちの不幸を養分に生長した詩こそが、悪の華を咲かせるのである。
 

ボードレールのレトリックへのこだわり

 
 今回の「旅のボヘミアン」の新訳にも、既存の邦訳とは訳文の大きく異なる箇所があるので、ここで解説しておきたい。
 
 問題の箇所は第2連にある。まずはいつもの4冊の邦訳を確認しておこう。
 

妻子をのせた馬車のわき、
あからびく利刀肩に男たち、のっそり歩く、
見果てぬ夢に追いすがる
重い視線に天をにらんで。*5

燦く武器を身につけて 男は 徒歩で、
家族が蹲つてゐる馬車に附き添ひ、
消󠄁え失せた幻想をなほ陰鬱に追ひ求め
重い視線を天空に彷徨はせながら 歩いて行く。*6

男たちはぎらぎら光る武器をかついで徒歩で行く
女子供のうずくまる馬車の脇に付き添って、
目は空にさまよいながら そのまなざしは
この場にあらぬ幻想を惜しむ心で重くなる。*7

女子供たちのうずくまる馬車のかたわら、
男たちはかがやく武器を肩に、徒歩でゆく、
消え去った幻影を惜しんでは暗くなる心ゆえ
重くふたがる両の眼を、空の方へとさまよわせつつ。*8

  • 原文

Les hommes vont à pied sous leurs armes luisantes
Le long des chariots où les leurs sont blottis,
Promenant sur le ciel des yeux appesantis
Par le morne regret des chimères absentes.

Les Fleurs du mal (1861)/Bohémiens en voyage - Wikisource

 
 私の新訳も再度提示しておこう。
 

彼女らが身を寄せあって乗る荷馬車のそばで、
担いだ武器を光らせて、徒歩で行く男たちは、
不在のキマイラたちへの陰鬱な愛惜のせいで、
動きの鈍くなった眼に、空を散歩させていた。

 
 本題に入るまえに、まずは単純な訳語のちがいの理由を二つほど説明しておきたい。
 
 一つ目は、私の新訳では「身を寄せあって乗る」と訳した原文2行目のblottisだ。この形容詞を、訳していない堀口以外の三者は一様に「うずくまる」と翻訳している。だが、「うずくまる」とは「しゃがんで縮こまる」という意味なので、常識で考えれば、馬車に乗る人の様子の形容としておかしいことはすぐにわかるはずだ。カロの版画から離れて、「荷馬車(chariots)」の荷台に乗っていると解釈すればそう不自然でもないかもしれないが、そんなこじつけに意味があるとも思えない。
 
 念のため、blottisの動詞形であるblottirを仏和辞典で引いてみると、案の定、別の用例が載っていた(形容詞のほうは載っていなかった)。
 

[代動] 縮こまる,丸くなる;身を寄せる,隠れる.
se blottir dans son lit|ベッドの中で丸くなる
se blottir contre qn|…に身をすり寄せる.

se blottir(フランス語)の日本語訳、読み方は - コトバンク 仏和辞典

 
 辞書の用例から選ぶなら、「縮こまる」か「身を寄せる」がふさわしいだろう。場面の状況をふまえれば、このblottisは「狭い荷馬車の上で身体をくっつけあっている様子」と解釈できるので、私は「身を寄せあって乗る」と訳した。
 
 もう一つは、私の新訳では「散歩させていた」と訳した原文3行目のPromenantだ。これも、「にらんで」などと訳している堀口以外の三者は一様に「さまよわせる」と翻訳している。堀口以外はまちがいではないのだが、読み比べられると私のほうが意訳していると勘違いされそうなので、説明しておきたい。
 
 promener(プロムネ)は、「散歩させる」という意味の動詞である(promenantは現在分詞)。その名詞形がpromenade(プロムナード)だと聞けば、わかる人も多いだろう。プロムナードは、日本でもそのまま散歩道の名称に使われている。辞書にはほかの用例も出てはいるが、それらの用法も「散歩させる」から派生したものだと考えられる。
 

 
 ニュアンスとしては、「散歩させる」というより「うろうろさせる」ということだろうから、そっちにしたほうがよかったのかもしれないが、このPromenantは、原文1行目の「vont à pied(徒歩で行く)」と掛けた表現であることは明らかなので、私は直訳のほうがいいと判断した。
 
 ボードレールに限らず、原著者のレトリックへのこだわりは尊重しなければならない。無論、完全に再現することはできないとしても、少しでも近づける工夫をするのが翻訳者の仕事である。
 
 私の韻文訳については、現在形の動詞の語尾を「~していた」とすることに疑問をもたれるかもしれない。だが、過去ではなく目前の事態を説明していることは文脈から明らかだし、なにより文章として不自然でもないと思うので、「~している」ではなく「~していた」でもいいのではないかと私は考えている。もっとも、一番の理由は、ほかに脚韻を踏む方法を思いつかなかったからなのだが(笑)。
 
 それでは、本題のキマイラ(chimères)の話に移ろう。
 

不在のキマイラたちが象徴するもの

 
 原文第3連4行目の「chimères absentes(シメール・ザプサーント)」は、既存の邦訳では例外なく意訳されている。順番に確認していくと、堀口大學は「見果てぬ夢」、鈴木信太郎は「消󠄁え失せた幻想」、安藤元雄は「この場にあらぬ幻想」、阿部良雄は「消え去った幻影」と訳している。
 
 私の新訳の「不在のキマイラたち」は、なんのひねりもないただの直訳だが、この箇所にキマイラが登場していることは、既存の邦訳では阿部訳の訳註でのみ辛うじて知ることができる。
 

chimères 散文詩「おのがじし噴火獣を背に」に出る獅子頭山羊身竜尾の怪獣キマイラが原義で、実現不可能の願望の意となる。*9

 
 阿部訳は、この註のとおり噴火獣(キマイラ)を「実現不可能の願望」のメタファーと解釈しており、他の訳者の見解も同様である。だが、待ってほしい。ほんとうにこの解釈は可能なのだろうか?
 
 阿部訳の「消え去った幻影を惜しんでは暗くなる心」を、私なりに読み解こうと試みても、最初の「消え去った幻影」でもう躓いてしまう。「消え去った幻影」とは、「実現不可能の願望が、やはり実現不可能なことを再確認して諦めた」という意味なのだろうか? それとも、「実現不可能の願望」そのものが消えてなくなったという意味なのだろうか? どちらの解釈を取るにしても、それに続く「惜しんでは暗くなる心(le morne regret)」とのつながりがおかしくなるように私には思われる。
 
 前者を取る場合、もともと実現不可能だと思っていた願望が、やはり実現不可能だったと確定したところで、果たしてそれほど大きなショックを受けるだろうか? そうではなく、おそらく阿部は、この詩行を「実現不可能の願望と知りながらも、諦めきれずにその幻影を追い続ける」という意味に読ませたいのだろうと思う。だが、そうすると、今度は「消え去った(absentes)」が宙に浮いてしまう。そもそも、「いない」という意味でしかないabsentesから、「諦めた」や「断念した」という含意を読み取ること自体に無理があるのではないだろうか。
 
 後者の「願望そのものが消えてなくなる」を取るにしても、さすがに忘れてしまうことではないだろう。忘れてしまえば、それがなんだったかもわからなくなるはずだ。では、忘れてしまうのではなく、その願望を求める意欲だけが消えてしまうと解釈するのはどうだろうか? その場合も、やはり「それを惜しんで心が暗くなる」ことは難しいだろう。
 
 それでも、実は後者の場合は、「もはやそれを求めることがないことを残念に思う」と解釈する余地が残されているのだが、阿部訳ではまたもや「消え去った」が邪魔をして、こちらの読み方もできなくなってしまっている。だが、先に言ってしまうと、キマイラの正体を考慮すれば、この読み方は可能であると私は考えている。
 
 代表して阿部訳の問題点を検討してきたが、ほかの邦訳も大差ない。漫然と読んでいるとわかったような気になりはするけれども、よく読み直してみると、実はなにもわかっていなかったということは、『悪の華』を読んでいればよくあることだ。では、どこに問題があったのだろうか?
 
 問題の根本は、言うまでもなくchimèresをメタファーだと決めてかかったことにある。だが、chimèresを比喩ではなく、伝説の怪物そのものと解釈して読むことは可能である。さっそくやってみよう。
 
 旅のボヘミアン一行の男たちは、部族の女子供を守るため、武器を取って馬車の守りを固めている。しかしながら、予言の能力か、はたまたアップデートされた常識の賜物か、もう旅の途中でキマイラのような怪物が襲ってきたりはしないことを彼らは知っていて、そのことを残念に思っている。なぜなら、この先、彼らが怪物退治によってベレロフォンのような英雄になることは決してないからだ。
 
 このように、「旅のボヘミアン」の第2連は、冒険の旅によってホメロスの『イリアス』のような英雄物語が誕生することはもはやないという諦観を詠んでいると解釈することが可能だ。この連のchimèresが「実現不可能の願望」を暗示しているとすれば、そのことをおいてほかにあるまい。キマイラとは、時代遅れとなった英雄譚のシンボルなのだ。
 
 そうしたわかりやすい目標がなにもないまま、彼らはあてもなく旅を続けるしかない。その意味で、不在のキマイラたちは目標の不在をも象徴していると言えるだろう。目標を見失って途方に暮れているボヘミアンの男たちは、自力で彼ら自身のキマイラを見つけるほかないのだ。
 
 かくして、ようやく私たちは、新たな時代を切り開くために暗中模索を続ける芸術家のシンボルとしてのボヘミアンに出会えるだろう。
 

謎めいたコオロギとキュベレーの役割

 
 もうおわかりと思うが、今回の「旅のボヘミアン」はこれまでで最高レベルに難解な詩である。私自身も、新訳のために読み直すまで、なにが書かれているのかほとんど読めていなかったことを正直に告白せざるをえない。
 
 この作品の難解さは、続く第3連、第4連においてさらにエスカレートする。まず読者が困惑させられるのは、第3連の1行目に藪から棒に登場するコオロギ(le grillon)である。『悪の華』の読者たる私たちは、ここに登場するのが、なぜほかでもなくコオロギなのかに、まずは疑問を持たねばなるまい。
 
 当初私は、このコオロギは、そのあとに登場する、大地の女神キュベレー(Cybèle)といっしょに旅のボヘミアン一行を歓迎しているのだろうと考えていた。そう読んだ訳者はほかにもいるにちがいないが、おそらくこの解釈は誤りである。というのも、この読み方では、なぜほかの動物や鳥や虫ではなく、コオロギなのかが説明できないからだ。
 
「旅のボヘミアン」第3連に登場するコオロギの歌声がなにを意味しているかについては、『「悪の花」註釈』において多田道太郎が詳細な読解を試みている。
 

マクベス』(Ⅱ幕,2場)にも出てくるが,イギリスではこおろぎは死の前兆と受けとられていた。ソネ「旅ゆくジプシー」のこおろぎは,おそらく雨と死との両方を喚起する両義的存在であろう。砂漠にこおろぎが鳴くとは,雨が降って砂漠に緑が萠えることを予告し,しかもそれは,『シンベリン』(Ⅱ幕,2場)のように,夜の,闇の時を告げる不吉の知らせにもなっている(この項フリース『イメージ・シンボル辞典』の教示に拠る)。*10

 
 多田の解釈には概ね同意するが、この詩におけるコオロギの歌声の役割は、最終行でも暗示されている不吉な運命の予告にあると私は考えている。シェイクスピアの戯曲のなかでもマイナーな『シンベリン』はともかく、ボードレールマクベスを読んでいたのはまちがいない。コオロギが登場するのは、国王の暗殺から戻ってきたマクベスを迎えるマクベス夫人のセリフである。
 

マクベス やったぞ。何か聞こえなかったか。
夫人 梟が叫び、蟋蟀が鳴いただけ。*11

 
 不吉な運命を連れてくる旅人たちが歓迎されるはずもない。コオロギが砂に隠れた小部屋の奥(fond)に引っ込んだまま出てこないのは、そのせいである。これは、ボヘミアンたちがヨーロッパ各地で差別や迫害を受けてきた歴史をふまえた表現と見るべきだろう。無論、そこには俗衆に理解されず、時に嘲笑されさえする詩人たちの不遇が重ねられてもいるのだろう。
 
 では、それに続くキュベレーは、どのような役割を果たしているのだろうか。コオロギとちがって、こちらはボヘミアン一行を歓迎していると解釈しても無理はなさそうだが、コオロギの歌声を不吉な運命の予告と取るなら、別の読み方も可能となる。というのも、キュベレーにも予言能力があるとされているからだ。*12
 
 予言の能力を持つキュベレーには、コオロギの歌声のメッセージを聴き取る力がある。ということは、キュベレーはコオロギの歌声からボヘミアン一行の不幸な運命を察知し、彼らを引き止めようとしているのではないかという可能性が生じる。彼らを引き止めたいからこそ、キュベレーは、砂漠だった土地を緑地に変えて、岩場には川を流れさせ、花を咲かせもして、ボヘミアンたちを定住するように促しているというわけだ。
 
 そうしたキュベレーのはからいも空しく、ボヘミアン一行は彼女が用意してくれた土地を素通りしてしまう。ここでは、キュベレーがしたことの中身より、それがボヘミアンを引き止められなかったという結果に気づくことが重要である。自然の豊かさや美しさなどでは、彼らを定住させることはできないのだ。『悪の華』の読者たる私たちは、ここにもアレゴリーを読み取らねばならないだろう。新時代の芸術家の化身であるボヘミアンたちは、彼らをまえにその無力さを露呈してしまったキュベレーに代表される古典時代の美学に、別れを告げているのだ。
 
 コオロギに教えてもらうまでもなく、占いを稼業とするボヘミアンたちは、彼らの暗い未来を知っているはずだ。だからこそ、コオロギは歌声を倍にして(redouble)警告していたのだ。その意味で、ボヘミアンたちはみずからの苦難の道を選んだのだと言えよう。「旅のボヘミアン」は、そんな芸術家の宿命を詠んだ詩だったのである。
 
 いや、待てよ?
 
 コオロギがシェイクスピアの『マクベス』からの引用だとすれば、キマイラもなにかの引用という可能性はないのだろうか?
 

二頭の翼のあるキマイラに引かれた火の車

 
 そう思っていろいろ探してみたら、なんとその引用元らしきものを見つけてしまった。ヴィクトル・ユゴーの小説ノートル=ダム・ド・パリ1831年)である。
 

 彼は本気で自分をおとぎ話の中の人物のように思いはじめた。翼のある二頭の噴火獣に引かれた火の車がまだそのへんにありはしないかと探しでもするように、ときどきあたりに目をやった。噴火獣の車ででもなければ、こんなにすばやく彼を地獄から天国へ運べるものではないのだから。*13

 Il commençait à se prendre sérieusement pour un personnage de conte de fées ; de temps en temps il jetait les yeux autour de lui comme pour chercher si le char de feu attelé de deux chimères ailées, qui avait seul pu le transporter si rapidement du tartare au paradis, était encore là.

Notre-Dame de Paris/Livre deuxième - Wikisource

 
 これは、絞首刑にされかけたところをボヘミアンの少女エスメラルダに助けられ、彼女の部屋で目を覚ました詩人のグランゴワールが狼狽する様子を表現したものだが、混乱のあまり、彼はほかならぬ「不在のキマイラたち」を探してあたりを見まわしているのだ! 発見できさえすれば、一目でそれとわかるほど明白な類似である。
 
 この、人を地獄から天国へ運ぶという「二頭の翼のあるキマイラに引かれた火の車」の出典も探してみたが、どこにも見当たらなかった。『神曲』でダンテが地獄から脱出するときにも乗っていなかったし、アト・ド・フリース『イメージ・シンボル事典』にも、澁澤龍彦『幻想博物誌』にも記載はなかった。だが、澁澤によれば、中世のキリスト教において、キマイラは「肉欲の象徴あるいは売淫の象徴」*14とされていたので、そもそも人を地獄から天国へと運ぶ神聖な役目を担えるはずがないのだ。
 
 ちなみに、「火の車」のほうの出典はわかった。旧約聖書』「列王記下」第2章11節に登場する、預言者エリヤを天に昇らせた「火の馬に引かれた火の戦車」だ。「火の車」も、預言者(prophète)に関連する乗り物であることは注目に値するだろう。
 

 彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。エリヤは嵐の中を天に上って行った。

列王記下 2 | 新共同訳 聖書 | YouVersion

 
 となると、キマイラと火の車の組み合わせには、ますます「そんなバカな!」と思わせられる。だが、それこそがユゴーの狙いだったのかもしれないのだ。おそらくユゴーは、グランゴワールの混乱ぶりをユーモラスに表現しようとして、こんな突拍子もない乗り物を思いついたのではないだろうか。
 
「二頭の翼のあるキマイラに引かれた火の車」がユゴーオリジナルのアイディアなのだとすれば、オマージュの素材としては申し分なかろう。そして、われらが詩人が、これほどユニークな表現を見逃すはずがないことを、私たちはすでに知っている。
 

ヴィクトル・ユゴーという偉大なるキマイラ

 
 ユゴーからもらった手紙を序文とした作家論テオフィル・ゴーティエ(1859年)のなかで、ボードレールは、ほかならぬ『ノートル=ダム・ド・パリ』を例に挙げて、ユゴーの「諸能力の数の多さおよび幅広さ」*15を称えている。
 
 ボードレールユゴーの交流は『悪の華』の刊行以前からあり、「旅のボヘミアン」の詩作にあたって、ボヘミアンの少女をヒロインとするこの小説をボードレールが意識していたとしてもなんら不思議はない。むしろ、ボードレールならば、なんとかしてつながりをもたせようとするはずだ。
 
 ヒントとなったのは、やはりchimèreである。『ノートル=ダム・ド・パリ』には、作中にchimèreという語が7回出てくる。なかでも注目すべきは、主人公である醜い鐘つき男、カジモドの容姿をキマイラにたとえたものである。
 

 するとカジモドは後衛をつとめ、うしろ向きになって司教補佐のあとについていった。ずんぐりした格好で、今にもとびかかりそうな形相を見せ、ぞっとするような姿で、髪を逆だて、手足に力をこめ、イノシシみたいな牙をなめなめ、野獣のようにうなり声をあげ、身ぶりや目つきで群衆に大きなどよめきを起こさせながら。
 みんなは、二人が狭い、真っ暗な通りへはいっていくのを見送っていたが、誰ひとり、あとを追おうという勇気のある者はいなかった。歯をギリギリいわせているカジモドの怪物じみた姿を見ただけで、通りへはいっていこうなどという気持は消しとんでしまうのだった。*16

 Quasimodo prit alors l’arrière-garde, et suivit l’archidiacre à reculons, trapu, hargneux, monstrueux, hérissé, ramassant ses membres, léchant ses défenses de sanglier, grondant comme une bête fauve, et imprimant d’immenses oscillations à la foule avec un geste ou un regard.
 On les laissa s’enfoncer tous deux dans une rue étroite et ténébreuse, où nul n’osa se risquer après eux ; tant la seule chimère de Quasimodo grinçant des dents en barrait bien l’entrée.

Notre-Dame de Paris/Livre deuxième - Wikisource

 
 このほかにも、カジモドをchimèreにたとえた場面がもう一箇所ある。*17こうした演出により、chimèreはカジモドを象徴する怪物として印象づけられることとなった。
 
 事実、『ノートル=ダム・ド・パリ』の大ヒットが契機となり、1845年からはじまったノートル=ダム大聖堂の修復工事の際に、建築家のウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって新設された「キマイラのギャラリー(La galerie des chimères)」は、ほかならぬこのユゴーの小説の影響によって生まれたものだと言われている。
 

Un ajout, une chimère sculptée qui veille sur Paris du haut de la tour nord, témoigne de l’influence qu'a eue Victor Hugo sur la restauration de la cathédrale. Le Stryge de Viollet-le-Duc serait directement "inspiré du récit de Victor Hugo", explique Vincent Gille, notamment grâce à des illustrations qui accompagnent le texte. "Le mot stryge vient du latin striga, qui signifie sorcière. C'est l’accusation portée contre Esmeralda", continue le conservateur. La bête incarnerait également Quasimodo, assimilé à une "gargouille" ou encore l'archidiacre Claude Frollo, que l'on retrouve placé au même endroit dans un passage du roman.

"Notre-Dame de Paris, de Victor Hugo à Eugène Viollet-le-Duc" : la Crypte archéologique rouvre avec une exposition hommage à la cathédrale

さらに、北の塔の頂上からパリを見下ろすキマイラの彫刻は、ヴィクトル・ユゴーが大聖堂の修復に与えた影響を証言している。ヴィオレ・ル・デュクのストリージュには、「ヴィクトル・ユゴーの物語からのインスピレーション」が直接表れている、とヴァンサン・ジルは説明する。それは、とりわけ文章に添えられた挿し絵の恩恵だという。「ストリージュという単語は、魔女を意味するラテン語のストリーガに由来します。それはエスメラルダに対して向けられた非難です」と学芸員は続ける。この獣は、それがカジモドと同程度に体現している「ガーゴイル」や、またさらには、小説の一節と同じ場所に置かれていることがわかる、司教補佐クロード・フロロとも同一視されるだろう。(平岡公彦訳)

 
 建築家にインスピレーションを与え、大聖堂の修復計画にまで影響を及ぼすほど強烈なインパクトを与えた結果、キマイラは、カジモドばかりか、『ノートル=ダム・ド・パリ』という小説そのものを代表する怪物となっていたのだ。現在、「キマイラのギャラリー」は、大聖堂の再建にユゴーが寄与した功績を顕彰する記念碑ともなっている。私がユゴーのキマイラを見つけることができたのも、そのおかげだ。
 


 
 それからもう一つ、ノートル=ダム大聖堂のあるシテ島から、セーヌ川を挟んですぐ近くにあるサン・ミッシェル広場に、1860年に新設された噴水の両脇にも、彫刻家のアンリ・アルフレッド・ジャックマールによる、二体の「翼のあるキマイラ(Chimère ailée)」の彫像がある。これも、ユゴーの小説や、大聖堂の「キマイラのギャラリー」に触発された作品ではないかと私は考えている。
 


 
 こうした時代背景もあり、きっとボードレールは、ボヘミアンとキマイラの組み合わせは、たやすくエスメラルダとカジモドの連想に結びつくと考えたのではないだろうか? 残念ながら、その見込みは外れてしまったわけだが(笑)、ボヘミアンが主役であるはずの「旅のボヘミアン」に、キマイラが登場する理由はそれ以外に考えられない。
 
 では、「旅のボヘミアン」の「不在のキマイラたち」が、『ノートル=ダム・ド・パリ』の「火の車を引く二頭の翼のあるキマイラ」を暗示しているならば、そこからどのような寓意を読み取れるだろうか?
 
 ユゴーの「翼のあるキマイラ」は、人を天国へと案内してくれる聖獣である。よって、その不在は、コオロギと同じくボヘミアンの救いのない未来を予告していると言えよう。それにより、安住の地も、来るべき楽園へといたる手立ても失われたボヘミアンの絶望は、さらに深いものとなるだろう。
 
 この二重のパラダイス・ロストは、言うまでもなくロマン主義以後の芸術家のおかれた状況を示している。帰るべき安息の地も、めざすべき約束の地も、もはやありはしない。その意味で、キマイラは、過去のものとなりつつあったロマン主義の象徴であり、さらには、その代表者であるヴィクトル・ユゴーその人でもあったのである。旅のボヘミアンの男たちの「陰鬱な愛惜(le morne regret)」とは、そんなロマン主義への郷愁にほかならなかったのだ。
 
 長い旅はこれで終わりである。私たちは次なる目的地、ボヘミアンの旅の終着地である未来の闇の帝国(L’empire)、スペイン帝国へ向かうとしよう。
 
 

 あなたのクリックが力になります。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村

 

参考リンク












*1:ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

*2:ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

*3:Les Fleurs du mal (1861)/La Muse vénale - Wikisource

*4:Les Fleurs du mal (1861)/Bénédiction - Wikisource

*5:ボードレール悪の華堀口大學訳,新潮文庫,2002年改版,p.53

*6:ボオドレール『悪の華鈴木信太郎訳,岩波文庫,1961年,pp.58-59

*7:ボードレール悪の華安藤元雄訳,集英社文庫,1991年,p.47

*8:シャルル・ボードレールボードレール全詩集Ⅰ』阿部良雄訳,ちくま文庫,1998年,p.57

*9:阿部前掲訳書,p.57

*10:シャルル・ボードレール京都大学人文科学研究所/多田道太郎編『「悪の花」註釈』上,平凡社,1988年,p.169

*11:シェイクスピア『新訳 マクベス河合祥一郎訳,角川文庫,2009年,p.44

*12:前掲『「悪の花」註釈』上,p.170

*13:ユゴーノートル=ダム・ド・パリ』上,辻昶/松下和則訳,岩波文庫,2016年,p.195

*14:澁澤龍彦『幻想博物誌』河出文庫,1983年,p.242

*15:シャルル・ボードレール『テオフィール・ゴーティエ』阿部良雄訳,『ボードレール批評』3,ちくま学芸文庫,1999年,p.189

*16:前掲『ノートル=ダム・ド・パリ』上,p.144

*17:同前,p.310