平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

闇――highfashionparalyze「蟻は血が重要である」について(『Bar触手』始動を祝して)

 われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。

 
 闇が光の欠如であるなどというのは迷信である。闇とは、殊に人間精神に潜む闇とは、開花を待つ豊穣な潜勢力を秘めた領野である。
 
 人は反抗する犬を怖れはしない。真に人を畏怖させるのは、享楽する闇である。未知の快楽を狂気と区別することは難しい。だが、そのような快楽だけがポエジーと呼ばれるに値する。この、決して飼い馴らすことのできない無尽蔵の闇にこそ、人は戦慄するのだ。
 
 highfashionparalyzeの1st single「spoiled/蟻は血が重要である/形の無い 何よりも 愛したのは お前だけが」が私たちに見せてくれたものもまた、そのような闇にほかならない。価値あるものはすべてこの闇から生まれる。みずからの本質にのみ従う格率を享楽しつつ生成する闇。この血に満ちみちた闇は、蟻が巣を作るように私たちの器官なき身体を侵食し、血管を張りめぐらせ、新たな器官を形成する。この器官は、舌であり、触角であり、性器である。いまや私たちの身体の一部となった、この歪な器官を駆けめぐるリビドーの比類なき愉悦。この闇を享受しうる者は幸いである。
 
 hfpのアンセムたる「蟻は血が重要である」kazumaは絶叫する。だが、その叫びは、一見そう見えるような怒りでも悲しみでも、憎しみでも絶望でもないだろう。そのような安易な翻訳はもとより斥けられている。それは、言葉や感情に翻訳されればこぼれ落ちてしまう純粋なポエジーの産声にほかならない。それこそがドゥルーズの言う、みずからを享楽する生成の志向性なき攻撃性である。それはaieのギターとともに空間を軋ませながらもろもろの器官機械を駆逐し、私たちの器官なき身体を覚醒させる。
 

 器官は彼の肉に打ちこまれる釘、数々の拷問に等しい。もろもろの〈器官機械〉にむけて、器官なき身体はすべすべした不透明な、はりつめた自分の表面をこれらの器官機械に対抗させる。結びつけられ、接続され、また切断されるもろもろの流れに、器官なき身体は、自分の未分化な不定形の流体を対抗させる。音声学的に明瞭なことばに、器官なき身体は、分節されない音のブロックに等しい息吹や叫びを対抗させる。*2

 
 プラトンが見誤ったように、エロスは、彼岸にあるイデアに恋い焦がれてなどいない。影絵と真実在とを取りちがえていたのは、ソクラテスその人だったのだ。エロスは、ほかならぬ自分自身を産出する。エロスを苦しめるのは、生えかけの触手が皮膚を突き上げる痛みである。その触手はやがて皮膚を突き破り、その傷口は血だらけでベトベトになる。
 
 それは、どこまでも剝き出しに、どこまでも裸にならねばならない。その純潔ゆえに、唯一無二の肯定はあらゆるものを否定し、拒絶する。そして、その純度ゆえに、その恍惚は、最も純粋な強度の形にギリギリまで近づいていく。
 

 最高度において体験される独身状態の悲惨と栄光、つまり生と死の間に宙づりになった叫び声、強度の移動の感覚、形象も形式もはぎとられた純粋で生々しい強度の状態。ひとは、しばしば幻覚と錯乱について語る。ところが幻覚の所与(私は見る、私は聞く)と錯乱の所与(私は考える…)は、より一層深い次元の〈私は感ずる〉ということを前提とし、まさにそれが幻覚に対象を与え、思考の錯乱に内容を与えるのである。*3

 
 merrygoroundSmellsの楽曲が〈幻覚と錯乱〉を表現していたとするならば、hfpは、まさしくこの〈私は感ずる〉という次元を暴き出そうとしているのだ。「錯乱や幻覚は、真に一次的なものである感動に比べれば、二次的なものにすぎない」*4この幻覚と錯乱の質料、このロゴスなきポエジーを、多くの人は狂気と呼んで眉を顰めるにちがいない。だが、この狂気に魅せられた者にとっては、それは新たな約束を予感させる希望である。まだこれほどの自由が、これほどの解放が、これほどの芸術が可能なのだ。
 
 そしてhfpは、kazu(Ba)とsakura(Dr)という新たな翅を加え、gibkiy gibkiy gibkiyへと変態を遂げた。私たちはこの歪な蝶を追い、比類なき実験の彼方までついていこう。至高の芸術を体感したければ、gibkiy gibkiy gibkiyのライブに行きたまえ。
 

 

kazuma新プロジェクト『Bar触手』始動

 kazumaさんの新プロジェクト『Bar触手』を応援しています。
 今年こそは飲みに行きたいと思っています。


 

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初出


 

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*1:プラトンパイドロス』藤沢令夫訳,岩波文庫,1967年,p.52

*2:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』上,宇野邦一訳,河出文庫,2006年,p.28

*3:同前,p.44

*4:同前,pp.44-45