平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレール『悪の華』韻文訳――011「不遇(1861年版)」

不遇(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
これほど重い重石を持ち上げるとなると、
シシュフォスよ、汝の勇気が必要だろう!
よくよく作品に心をこめようと、
芸術の道は長く、時は短かろう。
 
名立たる墓所からは遠く離れた、
孤立した墓地のほうへと向かう、
わが心臓は、幕のかかったドラムめいた、
送葬のマーチを打ち鳴らして進むだろう。
 
――数多の宝石が埋もれて眠る。
闇と忘却のなかで、
鶴嘴と測鉛からよくよく遠くで。
 
数多の花が悔しげに打ち明ける。
秘密めいた甘い香りを惜しんで、
深き孤独のなかで。
 
 

LE GUIGNON

 
 
Pour soulever un poids si lourd,
Sisyphe, il faudrait ton courage !
Bien qu’on ait du cœur à l’ouvrage,
L’Art est long et le Temps est court.
 
Loin des sépultures célèbres,
Vers un cimetière isolé,
Mon cœur, comme un tambour voilé,
Va battant des marches funèbres.
 
— Maint joyau dort enseveli
Dans les ténèbres et l’oubli,
Bien loin des pioches et des sondes ;
 
Mainte fleur épanche à regret
Son parfum doux comme un secret
Dans les solitudes profondes.
 
 

Les Fleurs du mal (1861)/Le Guignon - Wikisource


 
 ボードレール悪の華』第11の詩「不遇」の韻文訳が完成した。やっと今年1作目だ。こんなペースでほんとうに全部訳し終えられるだろうか。
 


韻 文 訳
悪 の 華
シャルル・ボードレール
平岡公彦訳


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 前回の「敵」の韻文訳から時間が経ちすぎて私自身もうろ憶えだが、「不遇」の第1連の「これほど重い重石(un poids si lourd)」は、「敵」と同じものを暗示していると解釈することが可能である。というか、同じものだと思わせる意図がなければ、次の詩の1行目にこんなわかりやすい「敵」を登場させたりはしない。
 
 おさらいも兼ねて、まずはその解説からはじめよう。
 

シシュフォスの勇気

 
 ギリシャ神話において、神々に反抗したことで怒りを買ったコリントスシシュフォス(シーシュポス)は、罰として、地獄で永遠に山の頂上まで大きな岩を押し上げ続けさせられることとなった。この、シシュフォスが山頂に到達しそうになるたびに転げ落ちる「重石(un poids)」は、単純明快に「芸術」のメタファーと解釈することもできなくはないかもしれない。
 
 しかし、重石を押し上げるプロセスを芸術作品の創作の比喩とみなすことはできても、重石それ自体を芸術と同一視するのは無理がないだろうか。山を転げ落ちてしまうのは、努力も空しく、作品としては日の目を見なかった失敗作である。よって、岩を押し上げる苦役を芸術作品の創作過程と同一視するには、この「重石」はなんでなければならないかを考えてみれば、答えはおのずと見えてくるだろう。
 
 私の考えでは、この「重石」は芸術作品の完成を阻むなにかであり、同時にそれ自体が作品創作の素材となりうるものである。それはなんだろうか? 「敵」と同様、それこそがスプリーン(Spleen)であるというのが私の解釈だ。芸術作品の創造とは、スプリーンのもたらす無力感や徒労感との絶え間なき戦いにほかならない。永遠に続く無益な労苦に立ち向かうシシュフォスが戦っているのは、まさにこのスプリーンであり、それと永遠に戦い続けるシシュフォスの勇気(courageこそが、芸術家には必要なのである。
 
 元来、無益な労働の象徴とみなされてきたシシュフォスの神話において、シシュフォスのlabeur(労苦)ではなく、またeffort(努力)でもpersévérance(粘り強さ)でもなく、courage(クラージュ)に焦点を当てたのは、ボードレールの独創と言っていいだろう。この価値転換によって、シシュフォスは、神罰の労苦に耐え忍ぶ犠牲者ではなく、神々の試練に立ち向かう英雄となったのだ。
 
 そしてそれは、シシュフォスが神々に反旗を翻した最初の人間たちの一人であることを私たちに想起させるだろう。シシュフォスとはサタンの化身であり、シシュフォスが取り組む苦役とは、サタン・トリスメギストスの錬金術、すなわち詩作のメタファーである。soulever(スルヴェ)という動詞は、私たちの「重石」を芸術の高みへと持ち上げることも含意しているのだ。それはまぎれもなく、神々への反乱(soulever)にほかならない。
 

 
 courageとは、神々に反抗する勇気でもあるのだ。ほかならぬこのシシュフォスの勇気だけが人間に与えられた唯一の尊厳であると、カミュはエッセイ『シーシュポスの神話』(1942年)において述べている。
 

 この男が、重い、しかし乱れぬ足どりで、いつ終りになるかかれ自身ではすこしも知らぬ責苦のほうへとふたたび降りてゆくのを、ぼくは眼前に想い描く。いわばちょっと息をついているこの時間、かれの不幸と同じく、確実に繰返し舞い戻ってくるこの時間、これは意識の張りつめた時間だ。かれが山頂をはなれ、神々の洞穴のほうへとすこしずつ降ってゆくこのときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。*1

 
 もしかすると、カミュのこの名高いエッセイも、ボードレールの「不遇」から得られたインスピレーションによって生まれたのかもしれない。
 
 実は、courageにはもう一つ秘密が隠されているのだが、それは最後のお楽しみとしておこう。
 

ヒポクラテス箴言「Ars longa, vita brevis」について

 
 お気づきの方も多いと思うが、「不遇」第1連の「L’Art est long et le Temps est court」という詩行は、今年亡くなったミュージシャンの坂本龍一座右の銘として話題になった「Ars longa, vita brevis(アルス・ロンガ、ヴィータ・ブレヴィス)」を下敷きにしたものである。
 
「芸術は長く、人生は短し」と訳されるこの箴言は、古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉をラテン語訳したとされるものだ。この言葉は、現代では概ね「人間の命は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も長く残る」という意味だと理解されている。教授の追悼記事や追悼特番でもそうだった。
 


 
 だが実は、この箴言にはまだ続きがあるのだ。ヒポクラテス箴言第一章一の全文を確認しておこう。
 

 一 人生は短く、医術は長い。好機は過ぎ去りやすく、経験は過ちが多く、判断は困難である。医師はみずからがなすべきことをするだけでなく、患者にも看護師にも協力を求め、さらには外の環境も整えねばならない。*2

 
 ご覧のとおり、本来この箴言は「医術を充分に習得するには一生をかけても足りない」という戒めを説いたものだ。「医術」と訳されているギリシャ語τέχνηの原義は「技術」であり、そのラテン語訳のarsも同じである。*3
 
 ここで問題となるのは、ボードレールの「不遇」における引用は、どちらの意味に解釈すべきかということだ。とはいえ、前者の「芸術は長く残る」の意味で読もうとすると、直前の「よくよく作品に心をこめようと(Bien qu’on ait du cœur à l’ouvrage)」とのつながりがおかしくなってしまう。よって、「不遇」の引用は、後者の「技術の道は長い」の意味で解釈するほかないように思える。
 
 しかしながら、ヒポクラテス箴言の引用に際し、ボードレールが「Ars」を「芸術」に読み替えていることは、草稿ではこの詩が「知られざる芸術家(L’Artiste inconnu*4)」と題されていたことからも明らかだろう。となると、ボードレールは「芸術は長く残る」の意味合いを少なくとも意識はしていたように思える。そうでなければ、この箴言を不遇の芸術家をテーマとする詩に引用するという発想自体が生まれてこないはずだ。
 

ヒポクラテス箴言ゲーテの『ファウスト

 
 では、同時代の作家たちは、「Ars longa, vita brevis」をどちらの意味で理解していたのだろうか?
 
 斉藤博ヒポクラテス箴言「人生は短く,術のみちは長い」について」(2004年)によると、ヒポクラテス箴言ゲーテファウスト 悲劇第一部』(1808年)にも登場する。ボードレールにも多大な影響を与えたこの名作での引用例を見てみよう。
 

 「技芸の道は長く、人生は短し」で。
 私もこうして批判的研究に励んでおりますと、
 頭が変になりはしないかと思うことが間々ございます。
 物事の根源にまで遡って行く、
 その手段を得ることは全くむずかしゅうございます。
 道の半分も来たか来ないかで、
 われわれは哀れにも仆れてしまうのでございます。*5

 
 引用したのはファウストの助手ワーグナーのセリフだ。ここでワーグナーは学問研究の果てしなさを嘆いているのだから、ヒポクラテス箴言は本来の意味に即して引き合いに出されていると考えていいだろう。
 
ファウスト』本編のなかではヒポクラテスの名は挙げられてはいないものの、この箴言が広く知られることに一役買ったことはまちがいない。この『ファウスト』における引用は、同時代の作家たちのあいだでは、きっとヒポクラテスの原典に負けず劣らずよく知られていたはずだ。だとすれば、それに続く作家はこれと異なる解釈では引用しにくかったにちがいない。不用意に「芸術は長く残る」の意味で用いれば、古典教養への無知を露呈してしまうことになるからだ。とりわけボードレールのような人物にとって、それは我慢ならない恥辱だったにちがいない。
 
 ヒポクラテス箴言は、『ファウスト』第一部に、悪魔メフィストフェレスのセリフとしてもう一度登場する。
 

 歳月は短く、技芸の道は長し。
 いい知恵をお貸ししましょうか。
 詩人と結託するんですな。
 そして詩人にいろいろなことを考えさせて、
 ありとあらゆる貴い性質を
 あなたの頭の上に積み上げてもらうのです。*6

 Die Zeit ist kurz, die Kunst ist lang.
 Ich dächt’, ihr ließet euch belehren.
 Associirt euch mit einem Poeten,
 Laßt den Herrn in Gedanken schweifen,
 Und alle edlen Qualitäten
 Auf euren Ehren-Scheitel häufen,

Faust - Der Tragödie erster Teil – Wikisource

 le temps est court, l’art est long. Je pense que vous devriez vous instruire. Associez-vous avec un poëte ; laissez-le se livrer à son imagination, et entasser sur votre tête toutes les qualités les plus nobles et les plus honorables,

Faust (Goethe, trad. Nerval, 1877)/Faust/Première partie - Wikisource

 
 新潮文庫高橋義孝訳、ドイツ語の原文に続いて引用したのは、ボードレールも読んでいたネルヴァルによるフランス語訳である。注目してほしいのは、メフィストフェレスのセリフでは、ヒポクラテス箴言の「人生(vita)」が「時間(Die Zeit)」に変えられていることだ。この変更を、ネルヴァルも忠実に「le temps」と翻訳している。
 
 期せずして、ボードレールの「不遇」とゲーテの『ファウスト』のあいだに思わぬ共通点があることがわかった。
 

自筆原稿の余白に記されたメモが意味するもの

 
 しかしながら、『「悪の花」註釈』によると、「不遇」の草稿の余白にはヒポクラテス箴言と出典Vita brevis, ars longa. HIPPOCRATIS aphorismorum Sectio prima. I.」*7がメモされていたそうなので、ボードレールが「不遇」の詩句をメフィストフェレスのセリフから取ったのであれば、それがメモされていないのは不自然ではないかという疑問は残る。
 
 とはいえ、ボードレールがネルヴァル訳の『ファウスト』を読んでいたこともまた確実であり、詩人がこの一致に気づいていなかったことも考えにくい。引用したメフィストのセリフは、ファウストとの契約が成立し、「さあ、これからどうなる?」と読者が期待に胸を膨らませる場面で出てくるので、まず見落とすことは考えられない。
 
 しかも、ヒポクラテス箴言の引用はワーグナーのセリフに続いて二度目である。このことは、ゲーテ自身もこの警句を読者に強く印象づけようとしていたことを示している。ゲーテが『ファウスト』に二度もこの箴言を引用した理由は、それが「悪魔に魂を売ってでも人間の可能性のすべてを探求し尽くしたい」という作品の根幹となるテーマを見事に要約しているからではないかと私は考えている。
 
 極めつけにメフィストフェレスは、詩人こそがその探求の案内役にふさわしいと説いているのだ。そして、詩人がファウストに教えるであろう、「最も高貴で最も名誉ある資質(les qualités les plus nobles et les plus honorables)」の筆頭にメフィストが挙げているのは、「ライオンの勇気(le courage du lion*8)」である。困難に立ち向かう勇気こそが、なによりも重要だというのだ。
 
 ここでもキーワードはcourage(クラージュ)だ。この単語は、「けしからぬ修道者」のentraillesや「敵」のfruitsと同じく原典への連想を促すサインであり、またそれこそが、芸術家がシシュフォスから学ぶべきものがほかならぬcourageだったことの理由でもあると私は考えている。そして、シシュフォスの勇気をボードレールに教えたのも、古代随一の美女ヘレネファウストに教えたのも、詩人たちの王ホメロスである。
 
 では、ボードレールが「不遇」の詩句をメフィストフェレスのセリフから取ったのだとすれば、草稿に残されたメモはなにを意味するのだろうか? 私の推理は、ヒポクラテス箴言には、当時から「芸術は長く残る」と「芸術の道は長い」の二通りの読み方が存在したため、どちらが正しいかを原典にあたって確認したことの備忘のためにメモを残したというものだ。
 
 おそらくボードレールは、この有名な格言を、メモしたヒポクラテスの著書ではじめて知ったのではないはずだ。なにがきっかけでボードレールヒポクラテス箴言を知ったかを特定するのは困難だが、「不遇」の詩作に取りかかるまえに『ファウスト』をはじめとしたいくつもの引用例に接していた可能性は極めて高い。
 
「Ars longa, vita brevis」の形になったヒポクラテス箴言は、1820年には江戸時代の日本にも伝わっている。宮永孝「文政三年のオランダ芝居 : 川原慶賀筆「阿蘭陀芝居巻」について」(2005年)によれば、この短縮形になったヒポクラテス箴言は、長崎の出島で開催されたオランダ人による演劇会の標語として舞台に掲げられていたらしい。
 
 とはいえ、そのイベントは当時のオランダ商館員たちによるアマチュア演劇だったそうなので、「Ars longa, vita brevis」が、「芸術は長く残る」と「芸術の道は長い」のどちらの意味で使われていたかはよくわからなかった。アマチュア役者の演技の未熟さに掛けて「芸術の道は長い」と言ったのかもしれないし、オランダと日本の友好の末長さに掛けて「芸術は長く残る」と言ったのかもしれない。しかし、少なくとも「Ars」が芸術あるいは芸能の意味で使われていたことは確かだ。
 
「Ars longa, vita brevis」が芸能の標語として日本にまで伝わってきていたということは、本場の西欧諸国ではとっくにこの形式のヒポクラテス箴言が独り歩きしていたと考えたほうが自然だ。そして、「Ars longa, vita brevis」の形になって大衆に広まってしまえば、「芸術は長く残る」の意味で使われはじめるのは時間の問題だ。そもそも、この短縮形の箴言自体が、そちらの意味を際立たせるために考案されたものである可能性も大きい。
 
 このように、ボードレールが生まれる1821年以前から「Ars longa, vita brevis」が芸能の標語として広く知られ、広まるにつれて二種類の用法が混在する状況が生まれていたのだとすれば、どちらの読み方が正しいかを確認する必要に駆られる場面も出てくるだろう。すでによく知られていた格言の原典を確認する必要があるとすれば、それは前後の文脈をふまえた正確な意味を知る必要があるときしか考えられない。
 
「不遇」の草稿に記されていたメモは、その確認のためのものではないかと私は考える。原典に忠実な順序に訂正されたメモがなによりの証拠である。ゲーテの『ファウスト』に二種類の引用があったことが、ボードレールを混乱させたほかならぬ原因かもしれない。
 

ボードレールの『ファウスト

 
「不遇」のヒポクラテス箴言が、メフィストフェレスのセリフから取られたのならば、それが『悪の華』に『ファウスト』をオーバーラップさせる可能性をボードレールが意識していなかったはずはない。
 
 現に、ゲーテの『ファウスト』におけるヒポクラテス箴言の位置づけを、『悪の華』のそれと重ねてみると、ぴったりと一致するのだ。「不遇」の箴言も、芸術という悪魔に魂を売った詩人がようやく詩作に取りかかって、まさに「さあ、これからどうなる?」というところで登場するからだ。そして、メフィストフェレスのセリフと同じく、「不遇」もまたボードレールによる詩人論にほかならない。
 
 それだけではない。一読して明らかなように、引用したメフィストフェレスの忠告は、メフィストの口を借りた、ゲーテ自身による『ファウスト』の作品テーマの解説である。同様に、「不遇」におけるヒポクラテス箴言ボードレールによる自註とみなしうる。こんなことは偶然には起こらない。それはまた、『ファウスト』と同様に、『悪の華』の結末まで続く、詩人の長きにわたる苦悩と彷徨を予告してもいるだろう。
 
 そしてなにより重要なのが、ヒポクラテス箴言によって象徴される『ファウスト』と『悪の華』のテーマの並行性である。『悪の華』とは、ファウストが教えを請うべき詩人みずからによる人類の可能性の探求にほかならない。だからこそそれは、『ファウスト』が到達しえた地点よりもさらに先まで進んだ、より高く、より広く、より深い世界の眺めを見せてくれる詩集に仕上がらねばならない。その意味で、『悪の華』は、ボードレールの『ファウスト』でなければならなかったのだ。
 
 晩年、ボードレールは生涯唯一の詩集となった『悪の華』について、アンセルに宛てた1866年2月18日付の手紙のなかでこう吐露している。
 

 あの残虐な書物の中に、私は私の心情のすべて、私の情愛のすべて、私の宗教(仮装された)のすべて、私の憎悪のすべてをつぎこんだと、あなたに言う必要があるでしょうか、そうと見抜かなかった点では他の人々と変らぬあなたに? なるほど、私は反対の事を書くでしょう、これは純粋芸術の書、猿まねの書、手妻使いの書であると、わが大いなる〈神々〉に誓いもするでしょう。つまり臆面もない嘘をつくだろうというわけです。*9

 
 ボードレールは、過去の名立たる詩人たちの傑作にも決して引けをとらない、詩人自身の代名詞となる、一世一代の書物を書き上げるためにすべてを賭けたのだ。その無謀さをだれよりも自覚していたからこそ、詩人は、ライオンの勇気では足らずに、シシュフォスの勇気こそを必要としたのである。
 
 

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参考リンク






*1:カミュ『シーシュポスの神話』清水徹訳,新潮文庫,2006年改版,p.213

*2:ヒポクラテス箴言』國方栄二訳,『ヒポクラテス医学論集』,岩波文庫,2022年,p.187

*3:國方栄二「訳注」,前掲『ヒポクラテス医学論集』,p.309

*4:シャルル・ボードレール京都大学人文科学研究所/多田道太郎編『「悪の花」註釈』上,平凡社,1988年,p.136

*5:ゲーテファウスト』一,高橋義孝訳,新潮文庫,1996年改版,pp.47-48

*6:同前,p.121

*7:前掲『「悪の花」註釈』上,p.135

*8:Faust (Goethe, trad. Nerval, 1877)/Faust/Première partie - Wikisource

*9:シャルル・ボードレール「書簡(抄)」阿部良雄訳,『ボードレール批評』4,ちくま学芸文庫,1999年,p.332