平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

翻訳

ボードレール『悪の華』韻文訳――014「人と海(1861年版)」

人と海(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 自由人よ、いつでもおまえは海を愛おしむだろう! 海はおまえの鏡。おまえは無限に繰り広げられる 波濤の刃のなかに、おまえの魂を見つめるだろう。 おまえの精神には、海にも劣らぬ苦汁の淵がある。…

ボードレール『悪の華』韻文訳――013「旅のボヘミアン(1861年版)」

旅のボヘミアン(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 熾烈に瞳を燃え立たせた予言者たちの部族は、 昨日旅路についた。一行の女たちはてんでに 小さな子をおぶったり、その見上げた食欲に、 垂らした乳に常備した宝を委ねたりしていた。 彼女ら…

ボードレール『悪の華』韻文訳――012「前世(1861年版)」

前世(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 私は長いあいだ、海辺の太陽が千の火で 染め上げた広大な柱廊の下に住んでいた。 その大きな柱は、まっすぐ厳かに並んで、 夕暮れは、玄武岩の洞窟と同様に見えた。 大空の姿を映して巻きこむ波のうね…

ボードレール『悪の華』韻文訳――011「不遇(1861年版)」

不遇(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 これほど重い重石を持ち上げるとなると、 シシュフォスよ、汝の勇気が必要だろう! よくよく作品に心をこめようと、 芸術の道は長く、時は短かろう。 名立たる墓所からは遠く離れた、 孤立した墓地のほ…

「アヴェ・マリア」とミューズたち――黒百合姉妹とナターシャ・グジー

宗教というものについて、ボードレールは『火箭』の冒頭に、「たとえ神が存在しないとしても、〈宗教〉はやはり〈神聖〉かつ〈神々しい〉ものであるだろう」*1という有名なテーゼを遺している。おそらくこれは、サド侯爵のキリスト教批判へのボードレールの…

『悪の華』の謎を解く1――「アヴェ・マリア」と「祝福」

シャルル・ボードレールの韻文詩集『悪の華』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じく、キリスト教の『聖書』の知識がないと、なにが書かれているかを充分に読み説くことが難しい書物である。 韻 文 訳悪 の 華シャルル・ボードレール平岡公彦訳トップペ…

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳『韻文訳 悪の華』トップページ

韻 文 訳悪 の 華1861年版シャルル・ボードレール平岡公彦訳© 2021-2024 Kimihiko Hiraoka

ボードレール『悪の華』韻文訳――010「敵(1861年版)」

敵(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが青春は、輝かしき陽光もあちこちに 通り抜けた暗澹たる雷雨でしかなかった。 落雷と雨のもたらした荒廃にさらされた私の庭に、 残ったものはごくわずかな紅緋色の実だけだった。 いまやこの私も理念…

ボードレール『悪の華』韻文訳――009「けしからぬ修道者(1861年版)」

けしからぬ修道者(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 昔日の修道院にある回廊の大きな壁には、 聖なる真理が壁画に描かれて並んでいた。 その効果は、敬虔なる胎を温め直しては、 その謹厳さの孕む冷たさを和らげていた。 キリストのまいた種…

ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」の誤訳について

前回公開したボードレール『悪の華』第8の詩「魂を売るミューズ」の韻文訳に、誤訳を発見してしまった。 今回の誤訳も、些細な解釈のズレや微妙なニュアンスのちがいのようなものではなく、確認不足と勉強不足によるごまかしようのないまちがいだった。それ…

ボードレール『悪の華』韻文訳――008「魂を売るミューズ(1861年版)」

魂を売るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 おお、わが心のミューズよ、宮殿に恋い焦がれる人よ。 君のもとには、一月がボレアスたちを放す頃、 雪の降る晩の黒い退屈がずっと続くあいだに、 紫色になった二本の足を暖める燃えさしは…

ボードレール『悪の華』韻文訳――007「病を得るミューズ(1861年版)」

病を得るミューズ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 わが不憫なミューズよ、ああ! 今朝はどうしたんだ? 落ちくぼんだ君の両目に、夜の幻が住みついているよ。 それに君の面持ちにも、冷たく無口になった 狂気と怖気が、代わるがわる映って…

ボードレール『悪の華』韻文訳――006「灯台(1861年版)」

灯台(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 ルーベンス、忘却の河、自堕落の庭、 そこはだれも愛せぬ瑞々しき肉の枕。 それでも流れこみ、絶え間なく騒ぎ立つ生命。 空に満ちる空気や、海に満ちる海水のように。 レオナルド・ダ・ヴィンチ、奥深…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」

無題(私が愛するのは、……)(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 私が愛するのは、フォイボスが彫像を黄金に 染めるのを好んだ、あの裸の時代の思い出だ。 その頃は、男も女も立ち居ふるまいも機敏に、 嘘もなく、不安もなく、楽しく過ごしてい…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み5――韻文訳「照応(1861年版)」

照応(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 自然とは一つの神殿。そこに生きる柱たちは、 時折、混迷した言葉を芽生えさせた。 そこを訪ねる人間は、親しげな視線で見守る、 象徴たちの森林のなかを通り抜ける。 遠くから響いて混ざりあう長き木…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み4――韻文訳「上昇(1861年版)」

上昇(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 いくつもの沼を越え、谷を越え、 いくつもの山を、森を、雲を、海を越え、 太陽の彼方、エーテルの彼方へ、 星々をきらめかせた天球の果ての彼方へ。 わが精神よ、おまえは機敏な動きで進む。 陶然と波…

ひどい翻訳の見本――ボードレール『悪の華』堀口大學訳「信天翁(あほうどり)」全文解説

シャルル・ボードレール生誕200周年を機に『悪の華(1861年版)』の韻文訳に取りかかり、前回「アホウドリ」の新訳のために改めて「L’ALBATROS」の原文を読み直した。この詩は初版の1857年版には収録されていないため、しっかりとすみずみまで読んだのは今回…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み3――韻文訳「アホウドリ(1861年版)」

アホウドリ(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 しばしば、気晴らしに船乗りたちは、 海の巨鳥、アホウドリをつかまえる。 こののんびり屋の旅の道連れたちは、 苦汁の淵を滑りゆく船についてくる。 船乗りたちが甲板に置いたとたんに、 この蒼…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み2――韻文訳「祝福(1861年版)」

祝福(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 至高なる者の力能の命により遣わされる、 詩人がこの退屈な世界に姿を現すに際し、 彼の母親は恐れ慄き、心を冒瀆に満たし、 憐れみ給う神に向け、拳をわななかせる。 ――「ああ! こんなお笑い種を養う…

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み1――韻文訳「読者に(1861年版)」

読者に(1861年版) シャルル・ボードレール/平岡公彦訳 愚行と、誤謬と、罪悪と、吝嗇とが、 われらの精神を占領し、肉体までをも変容させる。 かくして乞食が虱の類を養うごとく、 われらは愛すべき悔恨に餌を与えるというわけだ。 われらの罪悪は頑固だ…

まだまだある誤訳――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について2

「どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について」がずいぶんと好評だったので、調子に乗ってもう少し続きを書くことにしよう。幸か不幸か、ボードレールの『悪の華』の誤訳についてはまったくネタに不自由することがない。すでに『悪の華…

どの翻訳を選ぶか――ボードレール『悪の華』の邦訳の誤訳について

今年アニメ化された押見修造の『惡の華』(講談社コミックス)のおかげで、ボードレールの『悪の華』にふたたび注目が集まっているようだ。訳者の一人として、喜ばしく思う。 惡の華(1) (少年マガジンKC)作者:押見 修造講談社Amazon 押見の『惡の華』は読ん…