平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレールとシャネル――ダンディスムと皆殺しの天使

 分裂症者は、資本主義の極限に位置する。彼は、資本主義の発展の傾向であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、皆殺しの天使である。彼はあらゆるコードを混乱させ、欲望の脱コード化した流れをもたらす。

 
「女は〈ダンディ〉の反対だ」*2というボードレールの愚説を華麗に覆した女性がいる。だれもが知っているファッションブランドCHANELの創業者、ココ・シャネルだ。
 

 
 女性のショートヘア、ハンドバッグに肩紐をつけたショルダーバッグ等々、シャネルが現代ファッションに及ぼした影響は枚挙に暇がないが、レディーススーツの発明も彼女の功績の一つに数えられている。1923年のパリコレクションで彼女が発表したツイード素材のスーツが、そのはじまりだそうだ。
 

シャネルは自分のことについて、「彼女が人生においてしたことは、ジャケット、髪、ネクタイ、手首といったように女性に合わせて、男性の衣服を女性の衣服に変えただけだ」と、サルバドール・ダリに打ち明けた。

ココ・シャネル:モダニズム — Google Arts & Culture

 
 山田登世子は、シャネルがメンズスタイルをレディースファッションに転用した背景には、イギリス流ダンディズムへの共鳴があったとしている。
 

 ダンディズムはまぎれもなくイギリス流の美意識である。けばけばしい富の顕示を抑止して、内に力を秘めること。メンズの領域にヒントを得たシャネルのモードは、素材だけでなくその美学においてもダンディズムに通じている。ベージュという地味な色にもよく表われているように、派手派手しく「見せること」に腐心していた女性ファッションの領域に、シャネルは初めて「抑制」をもたらしたのである。*3

 
 こうしたシャネル流ダンディズムの極致と言うべきものこそ、1926年に発表し、彼女の名声を不滅のものとしたリトルブラックドレスだ。本国フランスでは、Petite robe noire(プティット・ローブ・ノワール)と呼ぶこのドレスの成功により、元来喪服の色だった黒がモードの頂点に君臨することとなった。この、極限まで装飾を排した黒一色のドレスが表現しているのは、まぎれもなくダンディスムの美学である。
 

 
 ダンディスムとは、「19世紀スタイルの皆殺しの天使(Ange exterminateur du style XIXe siècle*4)」の処刑を免れた、唯一の19世紀ファッションなのだ。山田は、シャネルが女性ファッションに起こしたモード革命は、19世紀にダンディスムが男性ファッションの領域で成し遂げたモダン革命の再現であったと総括している。
 

 ダンディもまた王侯貴族の装いの装飾過多にたいして「否定」をつきつけ、シックの美学によって華美豪奢を葬り去った。「エレガンスは絶対的なシンプリシティにある」と語ったボードレールのことばは、引用するまでもなくあまりにも名高い。そして、ボードレールもまたシャネルと同じく、「黒」という喪の色をあえて色の王座につかせた。よく指摘されるように、一九世紀、男性モードの領域ですでになしとげられていたモード革命が、二○世紀、シャネルによって女性モードの領域にもたらされるのである。*5

 
 山田の言うとおり、シャネルの言葉にはボードレールを彷彿とさせるものがある。*6『1846年のサロン』(1846年)において、ボードレールは、「偉大な色彩家たちは、黒い燕尾服と、白いネクタイと、灰色の背景をもって、能く色彩効果を生み出すのである」*7と、モノトーンの美しさを称揚していたが、シャネルもまた同様の好みを表明している。
 

 女はありとあらゆる色を考えるが、色の不在だけは考えが及ばない。黒はすべての色に勝るとわたしは言ってきた。白もそう。二つの色には絶対的な美しさがあり、完璧な調和がある。舞踏会で白か黒かを着せてごらんなさい。ほかの誰より人目をひくわ。*8

 
 このほかにも、「エレガンスとは拒絶すること」、*9「シンプルさはすべてのエレガンスの鍵」、*10「贅沢とは下品さの反対」*11といった彼女の箴言の数々には、ボードレール流ダンディスムの戒律に順ずるものが少なくない。もっとも、シャネルの美学が詩人の美術批評から影響を受けたものとは考えにくいので、これは両者に共通する美意識の普遍性が生んだ一致と見るべきだろう。
 
 ボードレールと同じく、その精神において、シャネルが自身の仕事の原動力としていたものもまた、ニーチェ言うところの距離のパトスであった。*12
 

 わたしはなぜモードの革命家になったのだろうかと考えることがある。自分の好きなものをつくるためではなかった。何よりもまず、自分が嫌なものを流行遅れにするためだった。わたしは自分の才能を爆弾に使ったのだ。わたしには本質的な批評精神があり、批評眼がある。「わたしには確かな嫌悪感がある」とジュール・ルナールが言っていたあれね。*13

 
 この、批評精神の根源たる「嫌悪dégoûts」*14については、ボードレールも同様の言葉を遺しており、詩人はそれを「不機嫌(mauvaise humeur*15)」と表現している。なにを隠そう、私のいちばん好きなボードレールの言葉かもしれない(笑)。
 

 もしあなたが、私は美徳の人間だ、とおっしゃるなら、その底意は、私は他人より悩むところすくない、ということなのだと、理解いたしましょう。いや違う。あなたは幸福なのです。してみると、たやすく満足させられるということなのか? お気の毒に思いますし、私の不機嫌の方があなたのおめでたい満足より上品だと評価するしだいです。*16

 
 では、確固たる批評精神をもち、黒をも相続したシャネルは、ダンディスムの正統なる後継者であったと言えるだろうか? ことはそう単純ではない。反逆の精神と双璧をなすダンディスムの柱である「一個の独創性を身につけたいという熱烈な欲求」*17が、彼女には欠けていたからだ。
 

 そうよ。いちど発見されてしまえば、創造なんて無名のなかに消えてゆくものよ。わたしは自分の考えを全部ひとりで開発するわけではないし、時にはそれが他人の手でうまく実現されているのを見るのはとてもうれしいことだ。だからこそ何年もの間わたしとほかの同業者は意見が合わなかったのだ。彼らにとって大問題であるコピーという問題がわたしには初めから存在していないのだから。*18

 
 大成功をおさめたリトルブラックドレスに冠された「シャネルという名のフォード」*19という二つ名が示しているとおり、モードの洗礼によってダンディスムを起源とする美意識は大衆化し、その名で呼ばれることすらなくなってしまった。シンプルであることも、目立ちすぎないことも、清潔であることも、いまやファッションのマナーの基本であり、それだけではいかなる特別さのしるしにもなりはしない。
 
 黒もまた、シャネルと、彼女に続くデザイナーたちの手で磨き上げられたことで、それ自体がエレガンスと品格を象徴する色となり、ボードレールが耽溺した喪のメランコリーは影を潜めることとなった。ファッションの世界において、定番スタイルとしての地位を確立することは必ずしも堕落ではなかろうが、その代償として、ダンディスムはまったく特別なものではなくなってしまったのだ。
 
 ダンディにとって、独創性を失うことは死を意味する。ならば、皆殺しの天使によってモードに売り渡されたダンディスムは、市場を覆い尽くすモダニスムの波に飲み込まれ、その息の根を止められてしまったのだろうか? ロラン・バルトは、まさしくモードこそがダンディスムを殺したのだと論じている。
 

 衣服を独自にするという考えかたそのものが官僚化したのである。モードをとおして、現在出まわっている服に幾ばくかのダンディズムを吹きこむことは、決定的にダンディズムを抹殺することである。なぜならダンディズムは、過激であるか、さもなくば無か、を宿命づけられているからだ。*20

 
 バルトは、買い集めた市販品を組み合わせるだけでは、ダンディスムの核心たる独創性を表現することはできないと言う。それは確かにそのとおりなのだが、バルトの考えは、ダンディをダンディと認めるハードルを法外に高く引き上げすぎていはしないだろうか。そもそもダンディスムは、ブランメルボードレールの時代においても、それを支持する一派に支えられた当時最先端のモードであったことを、彼は忘れているのではないか。
 
 バルトの言うとおり、「ダンディは際限なく無限に新しい卓越化の特徴を考案しつづけなければならない」*21無論、この他者との差別化を図ろうとする欲望そのものは、モードを起動する最初の一撃となることを熱望するファッションデザイナーたちと同じものだ。よって、たんなる衣服の独自性の追求だけでは、もはやダンディスムを際限なくモードを駆動する脱コード化と区別することはできない。ダンディスムの距離のパトスがそれ以外の脱コード化と異なるのは、それが大衆化に対する反作用だからだ。
 
 元来ダンディスムとは、卑俗な大衆と距離を置くためのエレガンスの磨き方や、品位の保ち方の作法であった。ダンディのこの貴族主義は、ダンディが発揮する独創性の基礎をなすものであり、この基礎に立脚していなければ、彼らがいかに独創性を発揮しようと、それは決してダンディスムの表現たりえない。ダンディの品位(distinction *22)は、独創性に優先するのだ。ダンディの脱コード化に課されたこの選別の原理こそがダンディスムの一貫性と統一性を支え、そのスタイル本来の独自性を担保するのである。
 
 ミニスカートのブームに迎合することをよしとせず、断固として自身のスタイルを曲げずにアンチ・モードを標榜した晩年のシャネルのように、*23現代においてダンディスムは、なによりもまず、モードから外れようとする動きとして、モードへの反逆として現れる。無論、いかなるモードも一時のものであるのと同様に、このダンディスムの抵抗も一時の抵抗にしかならないだろう。バルトの言うとおり、ダンディの志向するモードからの逸脱自体もまた規格化され、絶えず市場原理のなかに組み込まれる運命にある。*24
 
 だが、そうだとしても、ダンディスムの本体である距離のパトスが消えてなくなることはない。ダンディスムとは、距離のパトスの抵抗である。距離のパトスがモードへの抵抗を断念することがあるとすれば、そのときこそ真にダンディスムが死滅するときなのだ。
 
 


韻 文 訳
悪 の 華
シャルル・ボードレール
平岡公彦訳


トップページ

 あなたのクリックが力になります。

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村

 

関連記事



 

参考リンク








*1:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』上,宇野邦一訳,河出文庫,2006年,pp.71-72

*2:シャルル・ボードレール『赤裸の心』阿部良雄訳,『ボードレール批評』4,ちくま学芸文庫,1999年,p.82

*3:山田登世子『シャネル――その言葉と仕事の秘密』ちくま文庫,2021年,pp.32-33

*4:GABRIELLE CHANEL délivre les corps et les codes | Historia

*5:山田登世子『モードの帝国』ちくま学芸文庫,2006年,pp.157-158

*6:前掲『シャネル――その言葉と仕事の秘密』,p.61

*7:シャルル・ボードレール『一八四六年のサロン』阿部良雄訳,『ボードレール批評』1,ちくま学芸文庫,1999年,p.211

*8:ポール・モラン『シャネル――人生を語る』山田登世子訳,中公文庫,2007年,p.211

*9:ココ・シャネル──新境地を開いた女の人生を輝かす30の言葉。 | Vogue Japan

*10:同前

*11:同前

*12:フリードリヒ・ニーチェ『偶像の黄昏』村井則夫訳,河出文庫,2019年,p.164

*13:モラン前掲書,p.204

*14:鹿島茂「解説」,前掲『シャネル――その言葉と仕事の秘密』,p.224

*15:À Monsieur Jules Janin - Wikisource

*16:ボードレール「ジュール・ジャナンへの公開状草案」阿部良雄訳,『ボードレール全集』Ⅱ,筑摩書房1984年,p.393

*17:シャルル・ボードレール「現代生活の画家」阿部良雄訳,『ボードレール批評』2,ちくま学芸文庫,1999年,p.193

*18:モラン前掲書,p.200

*19:前掲『シャネル――その言葉と仕事の秘密』,p.94

*20:ロラン・バルト「ダンディズムとモード」山田登世子訳,『ロラン・バルト モード論集』,ちくま学芸文庫,2011年,pp.42-43

*21:同前,p.40

*22:L’Art romantique/Le Peintre de la vie moderne/IX - Wikisource

*23:山田登世子「編訳者あとがき」,前掲『ロラン・バルト モード論集』,p.180

*24:前掲「ダンディズムとモード」,p.41