平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」

無題(私が愛するのは、……)(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
私が愛するのは、フォイボスが彫像を黄金に
染めるのを好んだ、あの裸の時代の思い出だ。
その頃は、男も女も立ち居ふるまいも機敏に、
嘘もなく、不安もなく、楽しく過ごしていた。
恋しているような空は彼らの背中を愛撫して、
その高貴な機械を健やかに鍛え上げてくれた。
キュベレーはその頃、豊饒に作物を実らせて、
その息子たちを過剰な重石とは思わなかった、
共通の優しさに心を膨らませた雌狼となって、
その褐色の乳房をもって万物を潤してくれた。
優雅で、頑健で、強い力をもっていた男には、
彼を王と呼ぶ美女たちを誇れる権利があった。
まるで凌辱に無垢でひびにも処女地の果実は、
なめらかで固い果肉で、噛んでと呼んでいた!
 
詩人が今日、そんな生まれもっての偉大さを
思い描きたいと望み、男の裸体や女のそれを
見られるような場所まで行ってみたところで、
戦慄すべきものに満ちたその黒い絵のまえで、
暗闇の寒気が魂を覆うのを感じるだけのこと。
おお、服を着せてくれと泣きつく醜怪な者たちよ!
おお、滑稽な胴体よ! 仮面が相応のトルソーよ!
おお、ねじれた、痩せた、腹の出た、ぶくぶくの、
苛烈にして晴朗なる、実利という神の思し召しの、
青銅の産着でくるんだ子供たちの、不憫な肉体よ!
それから諸君ら、ああ! 蝋燭のように蒼ざめて、
放蕩に蝕まれながら、養われていもする女たちよ。
それから諸君ら、母親の悪徳の遺伝を引きずって、
多産婦のひどい醜さをすべて受け継ぐ処女たちよ!
 
実のところ、われら、堕落した国民にもまた、
心が下疳にでも蝕まれているような顔をした、
古代の民の知りもしない美女たちがいるのだ。
言ってみるならそれは、気怠さの美女たちだ。
だが、遅れて現れたわれらがミューズたちが
そんな発明をしようと、決して病多き種族が
青春に捧げる深き表敬の妨げになりはしない。
――聖なる青春に、純朴な風情に、穏やかな面に、
流れる水と同じように澄み切っている明るい目に。
そして、空の蒼さや、鳥たちや、花たちのように、
その香りを、その歌声を、その穏やかな熱気をも、
屈託もなく、すべてにふりまいてくれることにも!
 
 
(2022.10.2一部改訳)

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ボードレール『悪の華』韻文訳の試み5――韻文訳「照応(1861年版)」

照応(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
自然とは一つの神殿。そこに生きる柱たちは、
時折、混迷した言葉を芽生えさせた。
そこを訪ねる人間は、親しげな視線で見守る、
象徴たちの森林のなかを通り抜ける。
 
遠くから響いて混ざりあう長き木霊のように、
夜のように、明かりのように広がる、
暗闇に包まれた深遠な統一のうちに、
香りと、色彩と、音声とがお互いに応えあう。
 
ある香りは、幼い子供の肌のように瑞々しく、
オーボエのように甘く、牧草地のように青く、
――別の香りは、堕落し、豊満し、勝ち誇り、
 
無限の諸事物にも等しく膨れ上がる、
龍涎香や、麝香や、安息香や、薫香のように、
精神と諸感覚との昂りを歌い上げる。
 
 
(2022.5.8一部改訳)

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ボードレール『悪の華』韻文訳の試み4――韻文訳「上昇(1861年版)」

上昇(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
いくつもの沼を越え、谷を越え、
いくつもの山を、森を、雲を、海を越え、
太陽の彼方、エーテルの彼方へ、
星々をきらめかせた天球の果ての彼方へ。
 
わが精神よ、おまえは機敏な動きで進む。
陶然と波間に戯れる泳ぎの名人のように、
おまえは言葉にならぬ雄々しき愉悦とともに、
深遠で計り知れぬ広がりに陽気に軌跡を刻む。
 
飛べ、この病の瘴気のよくよく遠くまで。
行け、上層の空気のなかまで身を浄めに。
そして飲め、純粋な神のリキュールのように、
澄み切った空間を満たしている明るい火まで。
 
靄に包まれた実存を圧する重石となった、
退屈も、広がる憂愁もみな背後に遠のかせて、
幸いなるかな、力強き翼を羽ばたかせて、
光射す晴朗な領野へと突き進んでゆける者は。
 
ヒバリのように思考し、朝が来るたびに、
思いのままに大空へと飛び立ってゆける者は。
――人生の上を滑空し、努力も要さずに、
花々や声なき諸事物の言語を理解しうる者は!
 
 
(2021.11.7一部改訳)

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ひどい翻訳の見本――ボードレール『悪の華』堀口大學訳「信天翁(あほうどり)」全文解説

 シャルル・ボードレール生誕200周年を機に『悪の華1861年版)』の韻文訳に取りかかり、前回「アホウドリ」の新訳のために改めて「L’ALBATROS」の原文を読み直した。この詩は初版の1857年版には収録されていないため、しっかりとすみずみまで読んだのは今回がはじめてである。
 

 
 新訳にあたっては、参考にするため既存の邦訳も精読することになる。すると、どうしても過去の翻訳にある間違いや欠陥が目についてしまう。私自身の旧訳でもそうなのだ。以前にも書いたことだが、誤訳はどんな翻訳にもある。だから、以前に書いた記事でも、たんなるミスを執拗に非難したりはしないようにしてきたつもりだ。
 
 しかしながら、悪質な翻訳が存在することも事実だ。堀口大學訳の『悪の華』である。堀口訳には、ただの誤訳とはとても言えない原詩の改竄や、勝手な脚色が無数に存在することは、以前からさんざん書いてきたとおりだ。
 

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ボードレール『悪の華』韻文訳の試み3――韻文訳「アホウドリ(1861年版)」

アホウドリ1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
しばしば、気晴らしに船乗りたちは、
海の巨鳥、アホウドリをつかまえる。
こののんびり屋の旅の道連れたちは、
苦汁の淵を滑りゆく船についてくる。
 
船乗りたちが甲板に置いたとたんに、
この蒼穹の王は、不器用で恥晒しに、
その大きな白い翼をオールのごとく、
憐れにも両脇に引きずったまま歩く。
 
あの翼の生えた旅人が、なんと不格好で自堕落に!
先ほどのそれは美しき鳥が、なんと珍妙で醜悪に!
ある者は、スモールパイプでその嘴を苛つかせる、
別の者は、ずり足で、飛んでいた不具者をまねる!
 
詩人は、嵐に出没し、射手を嘲笑う、
この雲上の貴公子に似ているだろう。
地面に巻き起こる罵声の渦中に追い落とされれば、
その巨人のごとき翼が彼の歩みの妨げとなるのだ。
 
 
(2021.8.22一部訳文改訂)

 

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