前回は、哲学者の國分功一郎の『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)第Ⅲ章までのドゥルーズ論を読んできたので、今回は第Ⅳ章以降のドゥルーズ=ガタリ論を読んでいくことにしよう。
- 作者: 國分功一郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/06/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今回もずいぶん更新に時間がかかってしまった。時間がかかった理由は、書いているうちにだんだんどうでもよくなってきて、途中で何度も放り出しそうになったからである。考えれば考えるほど、國分の解説がドゥルーズの哲学の理解としておかしかろうが、それ以前にものの考え方としておかしかろうが、どうでもいいことじゃないかという気がしてくる。だいたいの読者はそんなことには気づかずに、勝手になにかをやる気になったり、勇気をもらったりしているのだから、そういう人たちがこの本を読んでなにか有意義な仕事に取りかかるのなら、本書は十分に意義のある仕事だったと言えるだろう。ただ、私にとってはそうではなかったというだけのことだ。
これを書いているあいだ、「こんなことを考えている暇があるなら、もっと有意義なことに時間を使ったほうがいいんじゃないか」という疑問がずっと頭から離れなかった。本書で國分がしていることは、けっきょくのところ問題を的確に把握するための準備でしかない。そしてここで私がしているのは、その準備が不十分だとひたすらケチをつけることだけだ。こんなことをしていてもいかなる問題についての考察も深まらないし、いつまで経ってもなにもできない。誤解のないように断っておくけれども、記事のタイトルにした「哲学を捨てる勇気」とは、國分の『ドゥルーズの哲学原理』に対する論評ではない。いま私に必要だと感じているものである。
それでも、どう読むのが正しいのか自分の頭で考えて判断したいという気がある人は、以下の議論につきあってほしい。せっかく書いた記事だし、読んでもらえれば私も嬉しい。私としてはけっこういいところを突いていると思うのだが、どうだろうか?
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