平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレールと三島由紀夫――三島由紀夫『潮騒』について

 前回韻文訳を公開した、シャルル・ボードレールの『悪の華』の5番めに収録されている無題詩は、三島由紀夫にとっての『潮騒』(1954年)のような作品だったのではないかと私は考えている。
 

 
 三島由紀夫も、代表作である『仮面の告白』(1949年)や『金閣寺』(1956年)がまさにそうであったように、鬱々とした内面の苦悩を描くイメージの強い作家だ。その三島が遺した膨大な作品のなかで、唯一の純愛小説と言われているのが、離島で暮らす漁師の少年、新治と、島の外から帰ってきた海女の少女、初江の恋を描いた『潮騒』である。
 
 三島が人生初のギリシャ旅行の「昂奮のつづきに書いた」*1という『潮騒』の舞台である歌島は、三重県の伊勢湾にある神島がモデルであることは有名な話だが、実は歌島にはもう一つモデルとなった島が存在するのだ。それは、三島がこの小説の原型とした古代ギリシャ・ローマ時代の小説『ダフニスとクロエ』の舞台である、ギリシャエーゲ海にあるレスボス島である。この『悪の華』との奇縁を、ボードレールの愛読者であった三島が意識していなかったはずはない。
  
「どんな時世になっても、あんまり悪い習慣は、この島まで来んうちに消えてしまう。海がなア、島に要るまっすぐな善えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや。そいで泥棒一人もねえこの島には、いつまでも、まごころや、まじめに働らいて耐える心掛や、裏腹のない愛や、勇気や、卑怯なとこはちっともない男らしい人が生きとるんや」*2と、新治が初江に語って聞かせる歌島の姿は、ボードレールの無題詩の冒頭に描かれる「裸の時代」を連想させる。
 

私が愛するのは、フォイボスが彫像を黄金に
染めるのを好んだ、あの裸の時代の思い出だ。
その頃は、男も女も立ち居ふるまいも機敏に、
嘘もなく、不安もなく、楽しく過ごしていた。

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

 
 私たちの知る古代のギリシャ彫刻のような肉体をもった男女を黄金に染めるフォイボスとは、太陽神アポロンの別名である。歌島は、ボードレールと同様に三島の古代ギリシャへの崇敬を投影したユートピアであり、『潮騒』とは、その理想郷を舞台とした、太陽の祝福を受けた若者たちの青春讃歌だ。では、このユートピアは三島にとってなんだったのだろうか。
 

悲劇的なもの――歌島と金閣

 
 私は『潮騒』とは、三島由紀夫にとって「こんなふうに考え、こんなふうに感じながら生きることができたらどんなにいいだろう」という、祈りにも似た切実な願望を描いた作品だったと考えている。
 
 ごく自然にそう考え、感じている人たちが現実にいることは知っている。だが、自分はそうではない。それでも、そう考えよう、そう感じようとし続けていれば、自分もいつかそちら側の人たちの仲間になることができるのではないか。そんな悲痛な祈りが、終始この小説の通奏低音として響き続けているのだ。
 
 自伝小説『仮面の告白』において、三島はそのような願望の対象を「悲劇的なもの」と呼んでいる。
 

 私の官能がそれを求めしかも私に拒まれている或る場所で、私に関係なしに行われる生活や事件、その人々、これらが私の「悲劇的なもの」の定義であり、そこから私が永遠に拒まれているという悲哀が、いつも彼ら及び彼らの生活の上に転化され夢みられて、辛うじて私は私自身の悲哀を通して、そこに与ろうとしているものらしかった。*3

 
潮騒』の世界が、三島にとっての「悲劇的なもの」であったことに疑問の余地はない。三島文学の研究者である佐藤秀明の『三島由紀夫 悲劇への欲動』(2020年)によれば、この「悲劇的なもの」は三島文学において繰り返し反復される重要なテーマである。佐藤は同書において、この言葉をキーワードの一つとして三島文学の全体像を解き明かす試みをしており、この三島由紀夫論も同書に多くを負っている。
 
 三島は、エッセイ「陶酔について」(1957年)においても、「悲劇的なもの」のもととなった幼少期の原体験を語っている。
 

 私には幼時から一種の暗い固定観念があった。他人の陶酔に接すると、自分だけはその陶酔から隔てられていると思うことである。祭りの神輿は、夏ごとに生家の門前を通ったが、その熱狂と陶酔を内側から生きることは、自分には終生不可能なような気がしていた。*4

 
 新治は、まさに三島が幼少のころに憧れた神輿の担ぎ手の化身である。そんな、「自分から永遠に隔てられているもの」に対する純真な憧れが、『潮騒』の根底にはあるのだ。『仮面の告白』と『金閣寺』の主人公にとって、『潮騒』に描かれた世界は完全に無縁の世界だろう。彼らにとってそこは、金閣の究竟頂の扉よりもさらに堅く分厚い壁によって隔てられている。歌島とは、焼かれなかった金閣なのだ。
 
 三島自身も、エッセイ「十八歳と三十四歳の肖像画」(1961年)において、『潮騒』で描いた世界は「何から何まで自分の反対物」であったとふり返っている。
 

 何から何まで自分の反対物を作ろうという気を起し、全く私の責任に帰せられない思想と人物とを、ただ言語だけで組み立てようという考えの擒になった。(「潮騒」1954)このころから、人生上でも、私は「自分の反対物」に自らを化してしまおうというさかんな欲望を抱くようになる。それは果して自分の反対物であるのか、あるいはそれまで没却されていた自分の本来的な半面であるにすぎないのか、よくわからない。*5

 
 このとき、「それは自分の反対物なのか、それとも本来もっていた自分の半面なのか」と三島を逡巡させていたものは、『仮面の告白』の「私」が吐露していた「自分を正常な人間だと装うことの意識」の影だろう。『潮騒』の清澄な文体の隙間からは、同性愛者でありながら、異性との「正常な恋愛」への希望を棄てられない「私」の絶叫が絶えず聞こえてくるのだ。
 

 例の「演技」が私の組織の一部と化してしまった。それはもはや演技ではなかった。自分を正常な人間だと装うことの意識が、私の中にある本来の正常さをも侵蝕して、それが装われた正常さに他ならないと、一々言いきかさねばすまぬようになった。裏からいえば、私はおよそ贋物をしか信じない人間になりつつあった。そうすれば、園子への心の接近を、頭から贋物だと考えたがるこの感情は、実はそれを真実の愛だと考えたいという欲求が、仮面をかぶって現われたものかもしれなかった。*6

 
潮騒』において、三島は徹底して「正常な人間」を演じようとしたのだ。だが、自分のなかにはないものを書く試みのいかがわしさもまた、三島は充分に自覚していた。それがこの小説を「ただ言語だけで組み立てよう」としたという放言の真意だろう。これは三島には珍しい自嘲であり、決して「ヒット作をテクニックだけで書けるかどうか試してみた」という類の人気作家の自惚れと混同してはならない。
 
 ベストセラーの宿命かもしれないが、『潮騒』は、発表当初からその物語のありきたりさや作り物っぽさを非難されていたらしい。批評家の浅田彰が、若かりし頃に「純愛小説の剝製みたいなもの」*7と評したのは有名な話だが、そんなことは三島自身が一番よくわかっていたのだ。批評家の磯田光一は、はやくも『殉教の美学』(1964年)においてそうした皮相な批判を諌めている。
 

「青春」の喪失が強く意識されればされるほど、「人工の青春」の造型は必須の要求とならざるをえない。『潮騒』のような作品に向かって、その人工的性格を批判してみてもはじまらないのである。むしろその「人工」を支えているのが、如何なる孤独な心情であるかを見極めるべきであろう。*8

 
 歌島という「人工楽園」に、三島はなにを求めていたのか。それこそが問われなければならない。
 

到達不可能な現実――小説の存在条件

 
 しかしながら、三島由紀夫は、日記「小説家の休暇」(1955年)において、『潮騒』で試みた古代ギリシャをモデルとした「人工の青春」の造型は失敗に終わったと結論づけている。
 

 彼らの盲目を美しくしているものは、自然の見方、自然への対し方における、古い伝習的な協同体意識だと思われた。もし私がその意識をわがものとし、その目で自然を見ることができたとしたら、物語は内的に何の矛盾も孕まずに語られたにちがいない。が、私にはできなかった。そこで私の目が見たあのような孤独な自然の背景のなかで、少しも孤独を知らぬように見える登場人物たちは、痴愚としか見えない結果に終ったのである。*9

 
 では、三島が書きたかった古代ギリシャとは、どのようなものだったのだろうか。三島はエッセイ「わが魅せられたるもの」(1956年)においても、ギリシャ旅行で受けた感銘をふり返っている。
 

 旅行者の目に映る限りでは、彼らはみんなただ歌をうたって、ほがらかに人生を享楽して、現在だけに生きているように思われる。私はまるで軽薄なように見える明るいものの持っている神秘ということにひどく魅せられたのである。*10

 
 だが、三島がギリシャで目にした「明るいものの持っている神秘」は、『潮騒』においては「痴愚としか見えない」不本意なものにしかならなかった。私にはそこまで卑下しなければならないほどひどい出来だったとは思えないのだが、三島自身は「ギリシャの芸術の持っているものは、結局現代ではよみがえらすことができない」*11と落胆してしまう。明言こそしていないものの、これは明らかに『潮騒』についての反省だろう。
 
 とはいえ、確かに「悲劇的なもの」を外からいくら熱心に観察してみたところで、そこに参加することなどできはしない。それを眺めて感嘆する感受性さえもが、それに加わる資格がないことの証左となってしまうだろう。歌島のモデルとなった神島の島民たちは、海にも、空にも、おそらくは三島が感動したのと同じように感動したりはしない。「孤独な心情」という、この「内」と「外」を隔てている残酷なまでに堅牢な扉こそが、まさに『潮騒』を「剝製」にしてしまっている当のものなのである。
 
 この『潮騒』における失敗は、晩年の不吉な論考「太陽と鉄」(1968年)において、「悲劇的なもの」により明瞭な輪郭を与えることになるだろう。
 

 私の悲劇の定義においては、その悲劇的パトスは、もっとも平均的な感受性が或る瞬間に人を寄せつけぬ特権的な崇高さを身につけるところに生れるものであり、決して特異な感受性がその特権を誇示するところには生れない。したがって言葉に携わる者は、悲劇を制作することはできるが、参加することはできない。しかもその特権的な崇高さは、厳密に一種の肉体的勇気に基づいている必要があった。*12

 
 三島が『潮騒』の理想郷に再現しようとした「特権的な崇高さ」を描くためには、外側から観察する視点ではなく、内側から生きられた視点こそが必要だったのだ。だが、そこに立ち入るための扉は、三島には依然として堅く閉ざされていた。にもかかわらず、歌島は金閣と同様に焼き亡ぼされてしまうことはなかった。それはなぜだろうか?
 
 三島の『金閣寺』が描く金閣とは、人を現実から引き剝がす幻影の美の理想である。「人生と私との間に金閣が立ちあらわれる。すると私の摑もうとして手をふれるものは忽ち灰になり、展望は砂漠と化してしまうのであった」。*13それは「虚無の予兆」*14でありながら人を虜にし、だからこそ人を現実からどこまでも遠く連れ去ってしまうだろう。だが、歌島はそうではなかった。歌島は、三島がギリシャや神島で現実に目にし、手で触れることさえできたであろう世界をモデルとした、言わば現実の生の理想だったのだ。
 
 エッセイ「現代小説は古典たり得るか」(1957年)において、三島はこのような意味での「現実」を、小説の存在条件であると定義している。
 

 到達不可能なものだけが小説における現実の意義であり、そのアクテュアリティーの本質であり、又同時に、その古典性の保証であるのかもしれない。
 現代の謎から身をそむけるにせよ、それを全面的に受け入れるにせよ、作家の信じた「生」や「現実」の存在は、それへの到達が不可能であることによって、却って作品の鞏固な存在条件をなすのである。*15

 
金閣寺』において「美の理想」と決別した三島が、その上「現実」までをも切り捨ててしまえば、もはやなにを拠りどころとして生きていけばいいのかわからなくなってしまうだろう。もしかすると、『潮騒』は、三島が『金閣寺』という敵と対峙するために必要とした「現実」の足場だったのかもしれない。
 
 三島は、なんとしてでも現実への扉を開き、悲劇に参加せねばならないと欲したのだ。なぜなら、そこにこそ三島が信じた「本物の生」があるはずなのだから。その扉を開くには、それをこじ開けられるほどの力強い肉体が必要となるだろう。
 

青空の発見――古典主義から肉体の言葉へ

 
 自身のひ弱な体つきにずっとコンプレックスを抱いてきた三島由紀夫が、作家として成功したあと肉体改造に勤しんだことは、だれもが知っている有名なエピソードだ。
 
 そんな三島がボディビルを開始したのは、『潮騒』刊行翌年の1955年からなのである。『潮騒』の失敗が、三島をこの人生の一大転機へと向かわせた契機の一つとなったことはまちがいない。身も蓋もない言い方をすれば、三島は「口ばかり達者な軟弱者」にすぎなかった自分自身に耐えられなくなったのだろう。
 
 それは、三島の見果てぬ夢であった健康で力強い肉体を手に入れるためだけの挑戦ではなかった。三島が肉体改造をつうじてめざしたのは、旅行記「アポロの杯」(1952年)で熱弁していた、古代ギリシャに見出した「外面と内面の調和」という理想である。
 

 希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、人間は「精神」なんぞを必要としないで、矜らしく生きていたのである。希臘人の考えた内面は、いつも外面と左右相称を保っていた。希臘劇にはキリスト教が考えるような精神的なものは何一つない。それはいわば過剰な内面性が必ず復讐をうけるという教訓の反復に尽きている。われわれは希臘劇の上演とオリムピック競技とを切離して考えてはならない。*16

 
 こうした思想を堂々と語るには、自分自身がそれを語るにふさわしい人間にならねばならない。それが三島が古代ギリシャに見出した「美しい作品を作ることと、自分が美しいものになることとの、同一の倫理基準」*17であり、三島の掲げた古典主義の帰結である。だからこそ三島は、みずからが力強く、誇り高い古代ギリシャの英雄になる必要があったのだ。かくして三島は、「太陽と鉄」において高らかに英雄主義を称揚するにいたる。「私はかつて、彼自身も英雄と呼ばれておかしくない肉体的資格を持った男の口から、英雄主義に対する嘲笑がひびくのをきいたことがない」。*18そのひたむきさゆえに強硬に、先鋭になってゆく三島の力への意志には、すでに最期の破滅が胚胎していたのだろう。
 
 古代ギリシャにおいて、美は外面と内面の調和によって体現されるというモチーフは、前回のボードレールの無題詩にも見出すことができる。
 

優雅で、頑健で、強い力をもっていた男には、
彼を王と呼ぶ美女たちを誇れる権利があった。
まるで凌辱に無垢でひびにも処女地の果実は、
なめらかで固い果肉で、噛んでと呼んでいた!

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

 
 誤解のないように断っておくと、私は三島の美意識にはこのボードレールの無題詩からの影響があると言いたいのではない。三島は、自身の古代ギリシャ観に影響を与えた思想家にヘルダーリン*19やコルフ*20ニーチェ*21の名を挙げており、とりわけニーチェについては、「私はやはりニイチェ的な考えでギリシャの芸術を見てたと思う」*22と述懐している。こうした古代ギリシャに対する憧憬は、彼らのみならず、近代ヨーロッパの思想家たちの時代精神であったと見るべきだろう。
 
 それはおそらく、「同情」や「清貧」という、キリスト教の聖職者たちが説く辛気臭い美徳に内心うんざりしていたヨーロッパ人が、その逃げ道を古代ギリシャに求めた結果ではないだろうか。彼らはそこにキリスト教にはない「卓越」と「横溢」という健全な生命力の解放を見出し、同じくそれを必要としていた三島もまた、その理想に共鳴したのだ。
 
 だが、「自分を言葉の側に置き、現実・肉体・行為を他者の側に置いていた」*23三島が、現実と肉体と行為とをわがものとするには、実際にそれに身を投じる必要があった。そして、頑健な理想の肉体を手に入れつつあった三島に、「現実」との和解を決定づける幸福な出来事が訪れる。
 

 肉体の言葉を学びだしてから、私は自ら進んで神輿を担ぎ、幼時からの謎を解明する機会をようよう得た。その結果わかったことは、彼らはただ空を見ていたのだった。彼らの目には何の幻もなく、ただ初秋の絶対の青空があるばかりだった。しかしこの空は、私が一生のうちに二度と見ることはあるまいと思われるほどの異様な青空で、高く絞り上げられるかと思えば、深淵の姿で落ちかかり、動揺常なく、澄明と狂気とが一緒になったような空であった。*24

 
 かくして三島は、幼い頃からの憧れであった神輿の担ぎ手になることができた。それによって三島は、ついに自身の肉体を獲得した実感を得ることとなる。そして、この経験はまた、三島の真の望みと呼ぶべきものを目覚めさせることになるだろう。
 

 みんなの見る青空、神輿の担ぎ手たちが一様に見るあの神秘な青空については、そもそも言語表現が可能なのであろうか?
 私のもっとも深い疑問がそこにあったことは前にも述べたとおりであり、鉄を介して、私が筋肉の上に見出したものは、このような一般性の栄光、「私は皆と同じだ」という栄光の萌芽である。*25

 
 克己精励の末開いた扉の先に三島が発見した青空は、以前には思うとおりに描くことができなかった本来の歌島の空であったことは言うまでもない。それは肉体に漲る力と自信にあふれた男たちが受け止める自然であり、ディオニュソスの青空であった。『潮騒』とはまさに「一般性の栄光」の物語であり、その光輝に包まれた生こそが、三島の求めた「本物の生」なのだ。
 
 この体験のあとならば、以前ならその剝製にすぎなかった言葉も、真の「肉体の言葉」たる資格を得られたはずだった。この体験を経てさえいれば、敢然と試練に立ち向かい、見事手柄を立てて英雄となった新治を言祝ぐ初江の父、照吉の言葉は、三島が信じたいと欲した価値観の結晶となりえただろう。
 

「男は気力や。気力があればええのや。この歌島の男はそれでなかいかん。家柄や財産は二の次や。そうやないか、奥さん。新治は気力を持っとるのや」*26

 
 この照吉の言葉は、三島にとって「自分ものではない言葉」であると同時に、「自分のものにしたいと恋い焦がれていた言葉」でもあったはずだ。照吉もまた、幾多の嵐と荒波を乗り越えて生き残った、歴戦の勇士と呼ぶにふさわしい老兵である。その言葉を自分のものにすることとは、三島自身が「自信をもってそれを言う資格のある男になること」にほかならなかった。
 
 もしもこのセリフの裏に、作者によって計算された愚直さや、演出された素朴さの気配を読み取ってしまう読者がいるならば、その人の心性こそが問われねばならないだろう。ましてや、このセリフを素直に受け取ることができず、「月並みな決まり文句だ」と唾棄するような輩がいるとすれば、そんな人間の性根にこそ病が潜んでいるのではないか?
 

 考えることの不得手な若者は、ものを考えるということのこの思いがけない効能、暇つぶしの効能を発見しておどろいた。が、若いしっかり者は、考えることをきっぱりやめた。どんな効能があろうと、ものを考えるという新らしい習慣に、彼が何よりも先に発見したのは、端的な危険であったから。*27

 
潮騒』は、気軽に楽しめる青春小説であるべきなのだ。余計なことを考えすぎて素直にこの物語を楽しむことさえできない病んだ自意識の弄する「知性」なるものが、いったいなんの役に立つと言うのか? この病の原因を、三島は「精神」と呼んでいる。
 

認識としての詩――三島文学の誕生

 
 三島由紀夫の自伝「私の遍歴時代」(1964年)によれば、「古代ギリシャには、「精神」などはなく、肉体と知性の均衡だけがあって、「精神」こそキリスト教のいまわしい発明だ」*28という。では、ここで三島の言うところの「精神」とは、いったいなにを意味しているのだろうか。
 
 同様のキリスト教批判は、「小説家の休暇」にも見出すことができる。「キリスト教は、世界と人間とから逃避しつつ、同時に自然からも逃避した。キリスト教の根本的な信念は、もっとも反自然的なものを「精神」と呼ぶことにある」。*29このような三島の思想の背景には、ニーチェによるキリスト教批判の影響をはっきりと見て取ることができる。そして、いかなるものを自然と考えるかについての三島の信念も、ほとんどニーチェそのものである。
 

 私には文学でも実生活でも、価値の次元がちがうようには思われぬ。文学でも、強い文体は弱い文体よりも美しい。一体動物の世界で、弱いライオンのほうが強いライオンよりも美しく見えるなどということがあるだろうか。強さは弱さよりも佳く、鞏固な意志は優柔不断よりも佳く、独立不羈は甘えよりも佳く、征服者は道化よりも佳い。*30

 
 三島がこの有名な太宰治批判において厳しく非難するのは、「弱さ」の表現それ自体を価値あるものとしてもてはやした当時の文学界の潮流である。そうした価値観において、最も崇高なものの地位に祭り上げられていたものこそが、「精神の苦悩」である。「精神的な苦悩などという、価値の高低のはなはだ測りにくいものを、想像力がいかに等しなみに崇高化してきたことであろうか」。*31そして、そのような価値観によりかかった小説家たちが「苦悩の代表者のような顔」*32をすることも、三島には滑稽に思えた。
 
 佐藤秀明は、『三島由紀夫 悲劇への欲動』において、三島が戦後の再出発を期して『仮面の告白』において取り組んだのは、徹底した自己批判であったと評している。
 

 私小説の系統を持つ日本文学では、作者固有の苦悩が表現されれば、一定程度の評価が得られ、『仮面の告白』には十分にその資格があった。だが、『仮面の告白』はその評価の秤に半分しか載らない。残りの半分は「仮面」の部分であり、自己批評である。ジョン・ネイスンの言う「客体化」である。自己の性指向を冷徹に徹底的に分析することで、客観性を確保し普遍性を獲得した。「ボオドレエルのいはゆる「死刑囚にして死刑執行人」たらんとするものです」(坂本一亀宛書簡、一九四八年十一月二日付)というところに作者の意図の力点は置かれていた。*33

 
仮面の告白』によって、三島は「精神の苦悩」なるものがそのままの形で芸術作品たりうるという当時の文学観を、異様なまでに苛烈な自己分析によって否定して見せたのだ。感傷や自責に酔うのではなく、認識し、客体化すること。そこにこそ三島は文学の本義を見出すこととなる。「あれほど私を苦しめてきた詩は、実はニセモノの詩で、抒情の悪酔だったこともわかってきた。私はかくて、認識こそ詩の実体だと考えるにいたった」。*34三島由紀夫は、自身の文学観と方法論を極めて明晰に客体化しようとした作家だったが、それもまた三島自身の認識の文学の実践だったのだろう。
 
 三島がどのような認識のことを「詩の実体」と考えていたかについては、「小説家の休暇」におけるコンスタンの『アドルフ』評を一つの解答とみなすことができる。ひと目で『仮面の告白』で確立した自身の文学観の投影だとわかる賛辞である。
 

 私がアドルフの弱さを愛してやまないのは、それと正反対の文体の強さのためである。弱さを表現し、自分の内面のこの病菌に頑強に耐え、自分の弱さをひとつも是認せず、しかもその弱さを一瞬も見張ることをやめない精神!*35

 
 ここでも、三島が価値の尺度として信じるものは「強さ」であり、「力」である。こうした三島の芸術観の根底には、ニーチェから受け継いだ、古代ギリシャ悲劇を誕生させたという強さのペシミズムへの憧憬を見て取ることができるだろう。
 

 強さの厭世主義といったものは存在しないのか? 生存の酷薄さ、凄惨さを、生存の悪と謎とを、幸福感から、あふれんばかりの健康から、いいかえれば生存の充実そのものから知的に偏愛するという厭世主義は? ことによると、過剰そのものに悩むということがあるのではないか? きわめて鋭いまなざしをそなえた試練者の勇敢さが? 恐怖すべきものをこそ敵として、おのれの力をためしうる好個の敵として、「恐怖する」ことの何たるかをそれによって学ばんとする敵として、あえて欲する試練者の勇敢さが?*36

 
 ニーチェの言う「きわめて鋭いまなざしをそなえた試練者の勇敢さ」とは、まさに三島の認識の文学の理念そのものである。三島にとってそれは、ディオニュソスをねじ伏せ、馴致する森鷗外を模範としたアポロンの文体であり、それこそが三島由紀夫を古典主義者たらしめている当のものなのだ。
 
 そして三島は、作家論「ジャン・ジュネ」(1954年)において、『仮面の告白』によって到達した自身の文学の核心と呼ぶべきものが、ボードレールの『悪の華』のなかにすでにあったことを再発見する。
 

 ボオドレエルが、死刑囚たり死刑執行人たる兼任を自覚したとき、彼は表現という行為がいずれは陥る相対性の地獄を予知していた。そしていずれは、表現のかかる自殺行為が、表現乃至は芸術行為を救済する唯一の方途になるであろう逆説的な時代を予感していた。*37

 
 この詩の原理を、ボードレールは『悪の華』の「救われえぬ者」において「悪のうちにある意識」と言い換えている。この詩は、まさに三島が言うところの「相対性の地獄」を描いた作品である。新訳はまだまだ先なので、旧訳でご容赦願いたい。
 

それは地獄の皮肉なる燈台
それはサタンの恩寵の燭台
それは唯一の安息にして唯一の栄光
――それこそは悪のうちにある意識!*38

 
 堕落し、悪徳にまみれながら、みずからの悪を凝視し続ける意識。そこにこそ三島は、ボードレール詩学の精髄を見たのである。
 

精神の追放――歌島を立ち去る千代子

 
 三島由紀夫は、『潮騒』の舞台である歌島を、こうした陰気で不健康な「精神の苦悩」とは無縁の世界として構築しようとしたと一般に考えられているし、本人もそう受け取れるコメントを残してはいる。だが、そんな『潮騒』の世界に、ただ一人「精神の苦悩」を患っている人物がいるのだ。新治に横恋慕する燈台長の娘、千代子である。
 
 自身の平凡な顔立ちを醜いと頑なに思い込み、それを気に病んでいつも陰気な顔をしているこの少女は、自分の告げ口が新治と初江の仲を引き裂く原因となったことによって、深い自責の念に苛まれる。この気の毒な少女は、「外面と内面の不調和」と「罪の意識」という、まさに「精神」の象徴として配された人物ととらえることができるだろう。
 
 千代子は、大学の春休みが終わって東京に帰る直前に、思い切って新治に彼女の積年の苦悩を告白する。
 

 千代子は何を恕されたいと願っていたろう。自分を醜いと信じているこの少女は、咄嗟の間に、いつも抑えつけていたいちばん心の底からの質問を、それもこの若者にむかってしか決してしなかったであろう質問を、思いがけず口走った。
「新治さん、あたし、そんなに醜い?」*39

 
 このボードレール好みの苦悩する娘は、このあと発せられた新治の一言に救われ、最後には新治と初江の恋を取り持つ役割を果たすことになる。
 
 この千代子のエピソードは、単なる彼女の苦悩の安易な救済などではなく、自分の殻に閉じこもっていた彼女が、勇気をふりしぼって行動に出たことによって、「内面と外面の調和」という恩寵が与えられる物語として読むことができる。それが、一見物語の本筋とは無関係なこのエピソードが挿入されている理由だろう。
 
 そして、東京の大学に戻った千代子は、新治と初江の婚約が成り、彼女の「罪の意識」が晴れるまでは歌島には帰らないと心に決める。それはまるで、大学生という歌島一番のインテリとして、禁断の智慧の果実を食したために楽園を追放される原罪の女の役割まで担わされているかのようである。
 
潮騒』の神話において、千代子は「罪の意識」と「悔恨」という「精神の苦悩」を追い祓うまでは、楽園に立ち入ることを許されない。ボードレールが言うところの「心が下疳にでも苛まれているような顔をした」*40女は、古代の理想郷にはふさわしくないのだ。
 
 だが、彼女はみずからしたためた手紙によって、歌島への帰郷を果たす資格を取り戻すだろう。この自分自身を処刑する女こそ、三島由紀夫その人にほかならない。
 

*1:三島由紀夫「私の遍歴時代」『太陽と鉄・私の遍歴時代』中公文庫,2020年,p.178

*2:三島由紀夫潮騒新潮文庫,2020年新版,p.56

*3:三島由紀夫仮面の告白新潮文庫,2020年新版,p.13

*4:三島由紀夫「陶酔について」『アポロの杯』新潮文庫,1982年,p.186

*5:三島由紀夫「十八歳と三十四歳の肖像画」『アポロの杯』新潮文庫,1982年,p.212

*6:前掲『仮面の告白』,p.141

*7:浅田彰島田雅彦『天使が通る』新潮文庫,1992年,p.220

*8:磯田光一『殉教の美学 新装版』冬樹社,1979年,pp.31-32

*9:三島由紀夫「小説家の休暇」『小説家の休暇』新潮文庫,1982年,p.101

*10:三島由紀夫「わが魅せられたるもの」『三島由紀夫』,『ちくま日本文学』010,筑摩書房,2008年,p.419

*11:同前,p.419

*12:三島由紀夫「太陽と鉄」『太陽と鉄・私の遍歴時代』中公文庫,2020年,p.16

*13:三島由紀夫金閣寺新潮文庫,2020年新版,pp.199-200

*14:同前,p.322

*15:三島由紀夫「現代小説は古典たり得るか」『裸体と衣裳』新潮文庫,1983年,p.260

*16:三島由紀夫「アポロの杯」『アポロの杯』新潮文庫,1982年,p.113

*17:前掲「私の遍歴時代」,p.178

*18:前掲「太陽と鉄」,pp.43-44

*19:前掲「小説家の休暇」,p.96

*20:同前,p.99

*21:前掲「私の遍歴時代」,p.178

*22:前掲「わが魅せられたるもの」,p.418

*23:前掲「太陽と鉄」,p.12

*24:同前,p.15

*25:同前,p.33

*26:前掲『潮騒』,p.180

*27:同前,p.136

*28:前掲「私の遍歴時代」,p.177

*29:前掲「小説家の休暇」,p.100

*30:同前,p.18

*31:前掲「太陽と鉄」,p.38

*32:前掲「私の遍歴時代」,p.158

*33:佐藤秀明三島由紀夫 悲劇への欲動』岩波新書,2020年,pp.88-89

*34:前掲「私の遍歴時代」,pp.157-158

*35:前掲「小説家の休暇」,pp.84-85

*36:ニーチェ悲劇の誕生西尾幹二訳,中公クラシックス,2004年,pp.240-241

*37:三島由紀夫ジャン・ジュネ」『小説家の休暇』新潮文庫,1982年,p.132

*38:ボードレール悪の華[1857年版]』平岡公彦訳,文芸社,2007年,p.126

*39:前掲『潮騒』,p.121

*40:ボードレール『悪の華』韻文訳の試み6――韻文訳「無題(私が愛するのは、……)(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート