平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

「アヴェ・マリア」とミューズたち――黒百合姉妹とナターシャ・グジー

 宗教というものについて、ボードレール『火箭』の冒頭に、「たとえ神が存在しないとしても、〈宗教〉はやはり〈神聖〉かつ〈神々しい〉ものであるだろう」*1という有名なテーゼを遺している。おそらくこれは、サド侯爵のキリスト教批判へのボードレールの答えである。
 

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『悪の華』の謎を解く1――「アヴェ・マリア」と「祝福」

 シャルル・ボードレールの韻文詩集『悪の華』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』と同じく、キリスト教『聖書』の知識がないと、なにが書かれているかを充分に読み説くことが難しい書物である。
 


韻 文 訳
悪 の 華
シャルル・ボードレール
平岡公彦訳


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ボードレール『悪の華』韻文訳――010「敵(1861年版)」

敵(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
わが青春は、輝かしき陽光もあちこちに
通り抜けた暗澹たる雷雨でしかなかった。
落雷と雨のもたらした荒廃にさらされた私の庭に、
残ったものはごくわずかな紅緋色の実だけだった。
 
いまやこの私も理念の秋にさしかかった。
これからは私もシャベルやレーキを使い、
洪水が墓場のようにいくつも大きな穴をえぐった、
水浸しの土地を集めて新生させなければならない。
 
果たして、私の夢見る新たなる花たちは、
砂浜のように洗い流されたこの地からも、
力強くしてくれる神秘なる糧を見出せるだろうか?
 
――おお痛い! おお痛い! 時が生命を食えば、
われらの心を蝕んでいく不分明なる敵も、
われらの失う血を吸って生長し、力をつけるのだ!
 
 

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ボードレール『悪の華』韻文訳――009「けしからぬ修道者(1861年版)」

けしからぬ修道者(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
昔日の修道院にある回廊の大きな壁には、
聖なる真理が壁画に描かれて並んでいた。
その効果は、敬虔なる胎を温め直しては、
その謹厳さの孕む冷たさを和らげていた。
 
キリストのまいた種が花開いていたそのご時世に、
今日では、その名を引かれることも少なくなった、
一人ならぬ著名な修道者が、埋葬場をアトリエに、
純朴なる心で死神の栄光を称えていたものだった。
 
――わが魂は、けしからぬ共住修道士のこの私が、
永遠の過去から歩きまわり、住み続けている墓場。
この忌々しき回廊の壁を飾るものなどなにもない。
 
おお、無為なる修道者よ! いつになったら私は、
私のおかれた情けない惨状の生きた光景をもとに、
わが手の作と、わが眼の愛するものを作れるのか?
 
 

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