平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み2――韻文訳「祝福(1861年版)」

祝福(1861年版)

シャルル・ボードレール/平岡公彦訳
 
 
至高なる者の力能の命により遣わされる、
詩人がこの退屈な世界に姿を現すに際し、
彼の母親は恐れ慄き、心を冒瀆に満たし、
憐れみ給う神に向け、拳をわななかせる。
 
――「ああ! こんなお笑い種を養うくらいなら、
いっそ絡みあった蝮でも産めなかったものかしら!
あたしの腹がこんな贖いのもとを宿してしまった、
あの儚い快楽の夜など、呪われてしまうがいいわ!
 
あんたが情けない夫から嫌われる女にするために、
あらゆる女のあいだからあたしを選ばれたのなら、
こんなまともに育たない怪物でも、恋文のように、
炎へと投げ入れてしまうわけにもいかないのなら、
 
あたしの身に圧しかかってくるあんたの憎しみは、
あんたが意地悪に使う呪われた楽器に跳ね返して、
この惨めな若木をこの手でそれはよくねじ曲げて、
ペストを流行らす芽を出せないようにしてやるわ!」
 
かくして、彼女は憎しみの泡を呑み込み、
永遠なる者の企図を理解することもなく、
彼女自身の手によってゲヘナの谷の底に、
母親の罪を罰する火刑台の薪を準備する。
 
けれども、天使の見えざる後見のもとに、
この廃嫡の身の子供は太陽に酔い痴れる。
彼は飲むものと食するものみなのなかに、
アンブロシアと紅緋のネクタルを見出す。
 
風とともに遊び、雲とともに語らっては、
彼は歌いながら十字架の道に酔い痴れる。
その巡礼の旅路のあとにつき従う精霊は、
森の小鳥のように陽気な彼を見て泪する。
 
彼が愛そうとする人々はみな彼を危惧して見守る。
あるいは、彼の平静さに目をつけて豪胆になると、
いかにして彼の苦悶の声を引き出せるか探ろうと、
彼の身の上で彼らの獰猛さのほどを試そうとする。
 
彼が口にするために出されたパンと葡萄酒にさえ、
彼らの手によって灰と不浄な痰が混ぜ合わされる。
彼が手にしたものは善人ぶりながら投げ棄てられ、
彼の足跡を彼らの足が踏むことさえ過ちとされる。
 
彼の妻は広場から広場へと叫びながら歩いてゆく。
「彼がわたしを崇めたいほど美しいと思うのなら、
わたしは古代の偶像の役目を務めてやりましょう。
同じようにわたしも金箔で飾ってもらおうかしら。
 
わたしは飽きるほど、甘松香も、薫香も、没薬も、
拝跪も、肉も、葡萄酒も堪能してやりますからね。
わたしに敬服している彼の心から、神への表敬も、
笑って横取りしてしまえるかどうか知るためにね!
 
そうして、この不敬虔な笑劇にも退屈したときは、
わたしの細くても強い手を彼の胸に置きましょう。
すると、ハルピュイアの爪みたいなわたしの爪は、
彼の心臓まで道を切り開けるのがわかるでしょう。
 
ぴくぴくと震えている、まるで幼い小鳥のような、
その真っ赤な心臓を胸からえぐり出してやったら、
お気に入りの獣を満腹にしてやるための餌にして、
地面に投げ棄ててやりましょう、侮蔑を込めてね!」
 
その目に光り輝く玉座が映る天に向かい、
晴朗なる詩人は敬虔な両腕をさしのべる。
その明晰な精神の発する広範なる閃光に、
怒り狂う民衆たちの様相も覆い隠される。
 
――「祝福あれ、神よ、あなたがくださる苦しみ、
それこそは、私たちの不浄さを癒す神の薬であり、
そしてまた、強き者たちに聖なる愉悦を準備する、
最も優良にして最も純粋なる本質でもあるのです!
 
私は知っています。あなたが詩人にくださる座は、
聖なる軍団の至福者の隊列に取り置かれることを。
そして、あなたがお招きくださる永遠なる祝祭は、
座天使力天使主天使たちが席を連ねることを。
 
私は知っています。痛みこそは唯一の魂の高貴さ。
地上にも地獄にも、決してそれを侵せはしないと。
そして、私の神秘なる栄冠を編み上げるためには、
あらゆる時間と宇宙に貢納を課さねばならないと。
 
しかしながら、あなたご自身の手でそろえられる、
古代パルミラの失われた宝石や、未知の貴金属や、
海底の真珠をもってしても、まばゆいほど澄んだ、
その美しき王冠を飾るには充分ではないでしょう。
 
なぜならば、原初の光線の聖なる炉心から汲んだ
純粋なる光でしか、それは作りえないのですから。
死すべき者の眼は、くまなく光り輝こうともまだ、
それを翳らせて苦悶する鏡でしかないのですから!」
 
 
(2023.1.1全面改訳

Les Fleurs du mal (1861)/Bénédiction - Wikisource


 
 さすがに時間がかかってしまったが、ボードレール悪の華』韻文訳の第2弾として、「祝福」の韻文訳をなんとか形にすることができた。無論、「BÉNÉDICTION」の韻文訳は本邦初である。
 


韻 文 訳
悪 の 華
シャルル・ボードレール
平岡公彦訳


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 予想以上に完成度の高い韻文に仕上がったことに自分でも驚いている。だが、ここまでやってしまうと、逆にほんとうにちゃんと訳しているのか怪しまれてしまうのではないかと危惧している。ちくま文庫阿部良雄訳をお持ちの方は、読み比べておかしなところがないかチェックしてみてほしい。
 
 とはいえ、あたりまえのことだが、当ブログの『悪の華』の韻文訳は、ただ韻文にするだけでなく、私の旧訳を含め、既存の翻訳に誤りがないかどうかも徹底して見直しをしている。そうすると、残念ながら旧訳の誤訳も見つかってしまうのだが、それだけでなく、新たな発見に基づく新解釈が生まれたりもしている。今回はその一部を解説しておこう。
 

詩人はペストを流行らせる

 
 この「祝福」の新訳で提示している新解釈のうち、いちばんわかりやすいのは第4連の「ペストを流行らす芽(boutons empestés)」だろう。
 

あたしの身に圧しかかってくるあんたの憎しみは、
あんたが意地悪に使う呪われた楽器に跳ね返して、
この惨めな若木をこの手でそれはよくねじ曲げて、
ペストを流行らす芽を出せないようにしてやるわ!」

Je ferai rejaillir ta haine qui m’accable
Sur l’instrument maudit de tes méchancetés,
Et je tordrai si bien cet arbre misérable,
Qu’il ne pourra pousser ses boutons empestés ! »

Les Fleurs du mal (1861)/Bénédiction - Wikisource

 
「ペストを流行らす」にあたるempestés(アンペステ)は、empesterという動詞の形容詞形だ。表記と発音からも容易に推察できるとおり、この単語はペスト(Peste)の派生語である。Pesteに「促す」という意味の接頭辞emが付いて動詞化すると、「ペストを蔓延させる」という意味になるわけだ。
 
 とはいえ、現在はempesterという動詞が「ペストを蔓延させる」という意味で使われることはほとんどないようで、この用法は一般の学習用のフランス語辞書には載っていないこともある。私の手もとにある2006年版『LE ROBERT MICRO』には載っていなかった。現代ではempesterは、「悪臭を充満させる」か、「(思想などが)有害な影響を与える」という意味で使われている。
 
 では、なぜもともとは「ペストを蔓延させる」という意味で使われていたempesterが、悪臭を充満させることを意味するようになったのだろうか。この用法の起源については、中世ヨーロッパを襲った、黒死病による人類史上最悪のパンデミックの歴史を解説した、国際政治学者の詫摩佳代の記事が参考になる。
 

 当時はまだペスト菌が発見されておらず、有効な治療法やワクチンも存在しない中、人々は汚物を浄めたり、隔離を試みたり、消毒を行ったりするが、その努力も虚しく、多くの人が亡くなっていく。その惨状は「・・あたり一面に死臭と病人の悪臭とが漂い、薬剤の臭気の漲(みなぎ)っていたさまが、察せられるであろう。(ボッカッチョ、上巻、p.23)」という一文に凝縮されている。

感染症と人類の闘い―国際協力の発展― /詫摩佳代(首都大学東京) - 医学史と社会の対話

 
 黒死病が猛威をふるった都市には、ペスト患者と犠牲者が発するすさまじい悪臭が漲っていた。この悲惨な歴史の記憶が、empesterに慣用句としての用法を派生させたのだ。
 
 ここで注意すべきことがある。外国語の翻訳をしている私たちは特に、empesterという単語には、「ペストを蔓延させる」と、「悪臭を充満させる」と、「有害な影響を与える」という三つの意味があると考えてしまいがちだが、厳密に言うと、この捉え方はまちがっている。正しくは、「ペストを蔓延させること」と、「悪臭を充満させること」と、「有害な影響を与えること」をempesterという言葉で表現すると捉えるべきなのだ。このちがいは大きい。
 
 日本語に置き換えたほうがわかりやすいだろう。フランス人は「ペストを蔓延させる」という表現を、文字どおりの意味のほかに、「悪臭を充満させること」や「有害な影響を与えること」の比喩としても使う。ここで重要なのは、いずれの意味で使われる場合も、言葉の上では「ペストを蔓延させる」と言うということである。つまり、フランス人は、私たち日本人が悪臭を充満させることを「毒ガスを充満させる」と言うのとちょうど同じように、「ペストを蔓延させる」という言葉を使うと理解するべきなのだ。
 
 以上をふまえるなら、「祝福」に登場するempestésの訳語は、「ペストを蔓延させる」以外には考えられないだろう。私の新訳では、怒り狂った詩人の母親が神を呪って言ったセリフということも考慮して、「ペストを流行らす」と訳した。
 
 ほかの訳者がこの語をどう訳しているかも紹介しておこう。「boutons empestés」を、堀口大學は「毒の芽」*1鈴木信太郎は「毒のある新芽」*2安藤元雄は「毒のある芽」*3阿部良雄は「悪臭放つその新芽」*4と訳している。ちなみに私の旧訳では「毒気放つその芽」*5となっている。きっとあいだを取ったのだろう。あえて評価を下すとすれば、正しく訳されている阿部訳以外は「不適切ではないが不十分」と言ったところだろうか。以前の私も意訳していたからというわけではないが、このレベルの意訳まで誤訳と断じてしまうと、日本にまともな翻訳はまったく存在しなくなってしまう。
 

韻文詩における脚韻の意味

 
 とはいえ、「正しく訳されている」と評した阿部良雄訳の「悪臭放つその新芽」に私が不満がないはずがない。無論、ボードレールの真意など確認のしようもないが、この箇所のempestésは、文字どおり「ペストを蔓延させる」という意味で使われていると私は考えている。
 
 理由は三つある。一つめは、「boutons empestés」は、詩人が世の中に与える悪影響の比喩であること。二つめは、このセリフを言っている詩人の母親は、怒りにまかせて滑稽なほどオーバーな表現をしていること。三つめは、empestés(アンペステ)が、2行上にある「tes méchancetés(テ メシャンステ)」と脚韻を踏んでいることである。
 
 韻文詩の押韻には、韻を踏んだ単語同士の親近性や類縁性を強調する意味合いがある。「tes méchancetés」とは、「あんたの意地悪」、すなわち「神の人間に対する嫌がらせ」である。ということは、「あんたが意地悪に使う呪われた楽器(l’instrument maudit de tes méchancetés)」という詩人を表した比喩は、『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」に登場する、吹かれるたびに人類に災厄がふりかかる天使のラッパを暗示していると解釈しうることに、私は今回はじめて気づいた。
 

 小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。そして、わたしは七人の天使が神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた。

ヨハネの黙示録 8 | 新共同訳 Bible | YouVersion

 
ヨハネの黙示録」では、このあと七つのラッパが一つずつ順番に吹かれ、そのたびごとに地上の人々に地獄の苦しみがもたらされる場面が延々と続く。こうした「神の意地悪」と脚韻によって同等のものであることが強調されているempestésは、やはりたんなる悪臭であるはずがないと考えるべきだろう。裏を返すと、ここでは、ほかならぬこのempestésによって、「呪われた楽器」から「ヨハネの黙示録の天使のラッパ」への連想を導こうとしているとも取れる。
 
 詩人とは、ペストをふりまく天使のラッパである。この解釈に気づいたことがこの新訳の最大の発見だった。先ほどのinstrumentを「道具」ではなく「楽器(樂器)」と訳している邦訳は、この新訳以前には鈴木信太郎訳しか見当たらなかったので*6、おそらくこれはほんとうに新発見である。なにを隠そう、鈴木訳のこの訳語に引っかかりを覚えていなければ、この新解釈には到達できなかった。ここに記して最大限の敬意を表したい。
 
 押韻について若干補足すると、この箇所の脚韻は、日本人の私でもわかるくらい上手いライムだ。おそらく『悪の華』を愛読するフランス人も、こういうところにシビれているのではないかと思う。本来、韻文詩にはこういう表現の巧みさを愛でる楽しみ方があるのだが、こうした表現の上手さをどこまで翻訳に反映できるかも、これからの課題にしたいと思っている。
 
 ボードレールは、テオフィル・ゴーティエに捧げた『悪の華』の献辞において、この詩集を「病多き花たち(FLEURS MALADIVES)」に譬えている。この花々は、言うまでもなく「boutons empestés」が咲かせた花たちにほかならない。
 
 余談だが、第4連の「méchancetés」を、私自身も含め、先ほど紹介した邦訳の同じ箇所で全員「悪意」と訳しているが、これは誤訳であると言わざるをえない。見てのとおり、méchancetésには複数形のsがついているのだから、méchancetésは少なくとも数えられるものであるはずだ。ならば、数えられないものである「悪意」と翻訳するのはおかしいとすぐに気づくべきだったと反省している。
 
 これを意訳とみなすこともできなくはないかもしれないが、私には極めて初歩的な読解ミスとしか思えない(「あんたの悪意」はta méchancetéなので、所有形容詞を見れば一目瞭然のはずだった)。残念ながら、既存の『悪の華』の邦訳には、このようなつまらないまちがいがまだまだ山のようにある。
 

悪の華』とペスト

 
 ところで、先ほどついうっかり「ただの悪臭」という表現をしてしまったが、悪臭は、『悪の華』が刊行された19世紀のフランスを含めたヨーロッパ人にとって、現代の私たちには想像もつかないほど恐ろしいものだったようである。なぜなら、悪臭はペストを含む伝染病の原因であると信じられていたからだ。
 
 17世紀に起きた大流行の際にペスト患者の治療にあたったペスト医師は、疫病の原因となる悪臭から身を守るために、奇妙な嘴のついたマスクを着けていた。その不気味な外見から、現代ではハロウィンの仮装の定番となっている、あの有名なペストマスクである。AFPBB Newsに参考になる記事を見つけたので紹介しよう。
 

 中世の腺ペスト流行時、欧州の医師の何人かは腐った物質や悪臭によって空気が汚染されているのだと考え、「ミアズマ(瘴気、しょうき)」から身を守るためにくちばしのような形をしたマスクを着用した。

伝染病とマスクの歴史、20世紀満州でのペスト流行で注目 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News

 
 ペストの感染源についてのこうした迷信は、1894年にペスト菌が発見されるまで消えることはなかった。いや、ペストの原因菌が突き止められたからといって、こうした迷信がそう簡単に消えてなくなることはないだろうから、ペスト菌の発見後もしばらくは残っていたにちがいない。
 
 ともあれ、19世紀のフランス人にとって、悪臭とは、ただ不快なだけのものではなく、死を予感させる恐ろしいものだった。そのことをふまえると、前回新訳した「読者に」の「おぞましさも知らず、悪臭漂う暗闇を通り抜けて」という詩行も、まるでちがったものに見えてくるだろう。
 

われらを動かす操りの糸を握っているのは悪魔だ!
人々の嫌悪の対象にこそわれらは好餌を見出して、
おぞましさも知らず、悪臭漂う暗闇を通り抜けて、
日々地獄へと、われらは一歩ずつ下ってゆくのだ。

ボードレール『悪の華』韻文訳の試み1――韻文訳「読者に(1861年版)」 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

C’est le Diable qui tient les fils qui nous remuent !
Aux objets répugnants nous trouvons des appas ;
Chaque jour vers l’Enfer nous descendons d’un pas,
Sans horreur, à travers des ténèbres qui puent.

Les Fleurs du mal (1861)/Au lecteur - Wikisource

 
 当時のフランス人の常識では、悪臭、それもなんの臭いか定かでない、得体の知れない悪臭が漂っているような暗闇にのこのこ入っていくことは、どんな恐ろしい疫病に罹ってしまうかわからない、自殺行為にも等しい愚行だったと考えられるのだ。たまたまだが、「Sans horreur」を「おぞましさも知らず」と翻訳したのは悪くない判断だったようだ。そういう意味だったことにしてしまおう(笑)。
 
 紹介した「読者に」の詩行は、こうした歴史上の背景を知ってはじめてそれが真に意味していることが理解できる。無論、この箇所以外の『悪の華』や『パリの憂愁』における悪臭の描写も、さらに重く、不吉なものに見えてくるはずだ。このように、『悪の華』には表面上の記述をただ追っていくだけでは理解することができない箇所が、まだまだあるのかもしれない。
 
 かく言う私も、今回「祝福」の新訳のために読み直して、はじめて『悪の華』とペストの歴史をリンクさせて考えることができた。ひょっとするとこれも新発見かもしれない。こんな調子で、私もこつこつ勉強しながら新訳を進めているので、更新に時間がかかるのはご容赦いただきたい。
 
 

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参考リンク

 フランス語の韻文詩の読み方については、下記のサイトに完璧な解説がある。

 empesterという動詞については、下記の論文も参考になる。

*1:ボードレール悪の華堀口大學訳,新潮文庫,2002年改版,p.28

*2:ボオドレール『悪の華鈴木信太郎訳,岩波文庫,1961年,p.26

*3:ボードレール悪の華安藤元雄訳,集英社文庫,1991年,p.17

*4:シャルル・ボードレールボードレール全詩集Ⅰ』阿部良雄訳,ちくま文庫,1998年,p.34

*5:ボードレール悪の華[1857年版]』平岡公彦訳,文芸社,2007年,p.19

*6:ボオドレール『悪の華鈴木信太郎訳,岩波文庫,1961年,p.26