平岡公彦のボードレール翻訳ノート

ボードレール『悪の華[1857年版]』(文芸社刊)の訳者平岡公彦のブログ

國分功一郎の奇説――國分功一郎「傷と運命――『暇と退屈の倫理学』新版によせて」を読む

 久しぶりにブログを更新する気になったので、今年3月に刊行された哲学者の國分功一郎の『暇と退屈の倫理学 増補新版』(太田出版)の書評を書くことにしよう。
 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 
 気がつくと、以前に記事を書いたのは10ヶ月もまえになるから、ほんとうに久しぶりだ。こんなに長くブログを放置していたのははじめてである。どうしてこんなにあいだが空いたのかというと、ほんとうに哲学の勉強をやめてしまったからだ。哲学者の千葉雅也の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)関連の雑誌対談などを読んだのを最後に、哲学関連の本はまったく読んでいない。それ以降に國分がいくつか新著を刊行していたことは知っていたけれども、そちらもぜんぜん読んでいない。以前の記事では「哲学やめようかな、どうしようかな」とオオカミ少年のようにくり返していたけれども、まさかほんとうにやめてしまうとは! 自分でもびっくりである。
 
 しかしながら、ブログをずっと放置していたにもかかわらず、不思議なことに毎月だいたい同じくらいの数の人が読みに来てくださっていることは知っていたので、だんだんと後ろめたい気持ちがつのってきた。流行ものばかり追いかけていたせいか、いまだに國分功一郎や千葉雅也や宇野常寛の本の書評を読みに来てくださる方がいらっしゃるのだ。特に、國分や千葉に注目が集まるようなイベントがあるとアクセス数が急に伸びたりして、そのたびに私は申し訳ない気持ちでいっぱいになる(笑)。月日が経つごとに「私はもう飽きたのでブームを追いかけるのはやめました」とは言いにくくなっていった。
 
 そこに、ちょうどいいタイミングで以前に読んだ國分の『暇倫』の増補新版が出るということを知って、ようやくまた哲学書を読んでみようかなという気になった。國分には悪いが、『暇倫』は以前にさんざん酷評した思い出深い本である(笑)。記事の最後にリンクを張っておくのでよかったら読んでほしい。その続編の予告として、今回読む「傷と運命――『暇と退屈の倫理学』新版によせて」という付録もつくということだし、この機会に國分の議論がどう発展したのかを見届けておくのも悪くないかなと思ったのである。
 
 しかしながらと言うべきか、やっぱりと言うべきか、今回の「傷と運命」を読んだ私の率直な感想は、「國分さんがまたおかしなことを言いはじめたぞ」というものだった。もともと期待よりも不安のほうが大きかったのはたしかだが、完全に悪いほうの予感が的中してしまった感じだ。どこがどういけないのかはこれからじっくり説明するけれども、これならつけないほうがよかったのではないかと思えるくらいどうしようもない論考である。特に、『暇倫』の本文を通読してから「傷と運命」を読んだ読者は混乱するにちがいない。
 
 いったい、國分功一郎はどうしてしまったのだろう?
 

退屈の定住革命起源説はどこへ行ったのか

 
 國分功一郎は、自分自身の考えを述べているときに限らず、ほかの哲学者の思想を解説しているときにも突然おかしなことを言い出すことがあるので、読者は注意して國分の論考を読む必要がある。
 
 一例を挙げるなら、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)において國分は、ドゥルーズの自由間接話法は、ドゥルーズが自身の著書でその思想を論じている哲学者たちの思考のイメージに到達するために用いた方法であるという不可解な主張をしている。しかし、ちょっと考えればだれでも気づくだろうが、ドゥルーズが自由間接話法を用いて書いているのは説明文である。そして当然、説明文は、その文章で説明すべき内容を書くまえに知っていなければ絶対に書けない。あなたは自分が知りもしないことを説明できるだろうか? にもかかわらず國分は、その説明文の文体が、その説明文で解説されている当のことがらを知るための方法であるという本末転倒な主張をしているというわけだ。
 
 以前にこのことを記事に書いたときには、「こんなつまらないまちがいを鬼の首を取ったように批判するのはみっともないかな」という躊躇があった。だが不思議なことに、どうやら私以外にこの國分の「新説」をおかしいと思った人はいないようなのである。ほんとうに不思議でしょうがない。さらに信じがたいことに、なかにはなんの疑問ももたずに國分のこの「新説」に感心している人までいる始末である。もしかすると、國分があまりにも自信満々に断言するので、読者もうっかり流されてしまうのかもしれない。
 
 それに加えて、國分には以前に自分が書いた論考をしっかり読み返さない悪い癖がある。そのせいで、『ドゥルーズの哲学原理』は各章の論考のあいだにまるで整合性のない、ほとんど支離滅裂な本になってしまっていた。國分ならきっといいドゥルーズの入門書を書いてくれるだろうと期待していただけに、あれにはほんとうにがっかりした。
 
 そんな前科があることをあらかじめ知っていた私でも、「傷と運命」の冒頭の文章を読んだときは、さすがに開いた口が塞がらなかった。目を疑うとはまさにこのことである。
 

『暇と退屈の倫理学』は、実はその主題に関わる基本的な問いを手つかずのままに残して終わっている。
 なぜ人は退屈するのか?――これがその問いに他ならない。
 本書は、人間が退屈するという事実を前提した上で、その退屈がいかなるものであるかを記述することに努力を集中している。そのため、退屈そのものの発生根拠や存在理由を十分に解明するには至っていない。*1

 
 これを読んだ読者の反応は大きく二つに分けられるだろう。一つは、「へえ、そうだったのか! それでこれからその考察がはじまるというわけだな。それは楽しみだ」という反応。もう一つは、「え? そうだっけ? いやいや、そんなことはないだろう。もしほんとうにそうだとしたら、以前のあの記述はいったいなんだったんだ?」という反応である。言うまでもなく私の感想は後者であり、すぐに心当たりのある箇所を読み返してみた。
 
 引用部を読めば明らかなように、「傷と運命」の読者として國分が想定しているのは、『暇倫』の本文をすでに通読したことのある読者である。もしもまだ本文を読んでいない読者が先に読んでしまったら、本文を読んだあとに改めて読み直してくれることを希望するにちがいない。実際、「傷と運命」には『暇倫』本文の論考の参照を求めている箇所がいくつもある。にもかかわらず、どうやら國分自身は、この論考を書ときに『暇倫』を充分に読み返さなかったようなのだ。理由はあとで書くが、私にはそうとしか思えない。
 
 幸い、私の心当たりの箇所はすぐに見つかった。長くなるが引用しよう。
 

 人間の大脳は高度に発達してきた。その優れた能力は遊動生活において思う存分に発揮されていた。しかし、定住によって新しいものとの出会いが制限され、探索能力を絶えず活用する必要がなくなってくると、その能力が余ってしまう。この能力の余りこそは、文明の高度の発展をもたらした。が、それと同時に退屈の可能性を与えた。
 退屈するというのは人間の能力が高度に発達してきたことのしるしである。これは人間の能力そのものであるのだから、けっして振り払うことはできない。したがってパスカルが言っていた通り、人間はけっして部屋に一人でじっとしていられない。これは人間が辛抱強くないとかそういうことではない。能力の余りがあるのだから、どうしようもない。どうしても「なんとなく退屈だ」という声を耳にしてしまう。*2

 
 引用したのは第五章にある議論のまとめだが、まとめの元となった論考は第二章の「暇と退屈の系譜学――人間はいつから退屈しているのか?」である。そこでは、文化人類学者の西田正規が提唱する「定住革命」という仮説に依拠しつつ、退屈の起源と原因についての考察が展開されているように私には見える。これが「なぜ人は退屈するのか?」という問題についての考察でないとすれば、いったいなんなのだろうか?――と、こう書きながら、自分が呈している疑問のあまりのバカバカしさに目まいを覚えるのだが、くじけずに続きを書くことにしよう。
 
 ともあれ、ここで國分は、人間が退屈する原因は高度に発達した人間の探索能力にあり、退屈とは、人間がその高度な探索能力をもてあましている状態のことであると明確に述べている。これは同時に、「なぜ退屈というものが存在するのか?」という問いの答えにもなっていると考えて差し支えないだろう。したがって私は、「なぜ人は退屈するのか?」という問いは、國分にとってはすでに解決済みの問題であるとばかり思っていたのだ。
 
 私の困惑に、すでに『暇倫』を読んだことのある人ならばおそらく共感してくださるだろうと信じる。そうでなければ困る。『暇倫』を読み終えてから「傷と運命」を読んでいるにもかかわらず、その冒頭の文章を読んでなんの疑問も覚えないような人がもしもいるとすれば、そのような人は、哲学する能力以前に、文章を読んで理解する能力か、読んだ文章を記憶する能力のいずれかがまるきり欠如しているとしか私には思えない。
 
 さて、ここで國分が提唱している退屈の根本原因についての仮説を、退屈の定住革命起源説と呼ぶことにしよう。ところで、「傷と運命」にこの退屈の定住革命起源説の話がまったく出てこない理由もまた二つ考えられる。一つは、先ほど書いたとおり、國分が定住革命起源説のことをすっかり忘れてしまっていたという理由。もう一つは、あとから定住革命起源説に重大な欠陥があることに気づいて、それを放棄したという理由である。
 
 前者であれば、ど忘れすることはだれにでもあることなので、重々気をつけていただきたいことではあるけれども、まあ仕方のないことなのかもしれない。だが、後者であるなら話は別だ。実際のところはわからないが、もしもほんとうに定住革命起源説を放棄したのなら、その理由を含めて本書のなかで充分に説明した上で、はっきりと撤回するべきだろう。それが読者に対する最低限の礼儀というものではないだろうか。
 
 私自身は、退屈の定住革命起源説は、人間が退屈することの根本にある原因の説明として、そんなに悪くないアイディアだったのではないかと思っている。たしかによく考えてみれば、たとえば、もしも人類の祖先が定住革命どころか遊動生活よりも以前から退屈することがあったことの動かぬ証拠が見つかれば、この仮説は誤りだったということになるだろう。だが、おそらくそれはだれにも確認のしようのないことではないかと思う。その意味では、國分の仮説がほんとうに正しいかどうかは、じつはだれにもわからないのだ。
 
 しかし、それを抜きにしても、退屈の原因は人間の能力の剰余にあるとする國分の考えは、まちがっていないのではないかと私は思う。それはなにより、私たちの生活実感に即している。たとえば、ひどく疲れているときには、暇があっても私たちは退屈する間もなく寝てしまうだろう。こうした日常の生活感覚に根ざしていたからこそ、「能力に余裕があるから人は退屈する」という國分の説にはとても説得力があったのだ。
 
 というわけで、私は退屈の定住革命起源説にわざわざ撤回しなければならないほどの重大な欠陥があったとはどうしても思えない。となると、それはそれで信じがたいことだが、やっぱり國分はど忘れしてしまったのではないかと考えざるをえないのである。
 

退屈の「痛む記憶」原因説の不可解さ

 
 以前に自分が提唱した退屈の定住革命起源説をすっかり忘れてしまったらしい國分は、「傷と運命」において、今度は小児科医の熊谷晋一郎が提唱する記憶のしくみに関する仮説に依拠しつつ、退屈の根本原因についてまったく別の仮説を提示している。
 

 本書が何度も強調してきたように、我々は何もすることがない状態に耐えられない。つまり、暇になると苦しくなる。その苦しみは実に強力なものであって、身体的な苦しさよりも苦しい。人は、何もすることがない状態、何をしてよいのか分からない状態の苦しさに陥るのを避けるためであれば、よろこんで苦境に身を置く。
 なぜか? それはこの苦境が、記憶という傷跡の参照に歯止めをかけるからではないだろうか。逆に言えば、そのような苦境、あるいは精神的な熱中がないと痛み始める、そのような不快さをもたらす記憶というものが存在しているのではないだろうか。また、何もすることのない状態の苦しみに対する耐性には、非常に大きな個人差がある。一時間の暇にも耐えられない人もいれば、一日二日の暇に耐えられる人も、一ヶ月、半年の暇に耐えられる人もいる。それは、記憶という傷跡に大きな個人差があるからではないか。*3

 
 國分の新たな仮説によれば、人が退屈する原因は、なにもすることがないと痛みはじめる記憶にあるらしい。別のところで國分は、そのような記憶のことを「痛む記憶」と呼んでいる。この時点ですでにもう私たちの実感からはずいぶんとかけはなれた仮説のように思えるが、ここはひとまず我慢して、とにかく國分の説明を追ってみることにしよう。
 
 國分によれば、人間の生とは、私たちが生きている限り次々と経験することになる、サリエンシーと呼ばれる新たな未知の刺激に徐々に慣れていく過程である。しかし、元々がサリエンシーであった強度の刺激の経験である記憶は、程度の差こそあれ、みな例外なく痛みを発しているのだと國分は言う。「ある種の記憶は痛むが、別の種の記憶は痛まないのではない。記憶はそもそも全て痛む」。*4
 
 では、あらゆる記憶が痛みを発しているというのなら、私たちが蓄積していく記憶のすべてが退屈の原因なのかというと、どうもそういうことではないようだ。そうした記憶のうち、その痛みにうまく慣れることができなかった一部の記憶だけが退屈を生じさせる原因になるらしい。「いくつかのサリエンシーは、その強度ゆえに十分な慣れの作業を経ることなく、痛む記憶として心身に沈殿する」。*5ややこしいので、ここでは退屈の原因となる記憶だけを「痛む記憶」と呼ぶことにし、國分の新たな仮説のほうは退屈の「痛む記憶」原因説と呼ぶことにしよう。
 
 さて、この「痛む記憶」原因説を、先ほどの定住革命起源説と比較してみても、両者にはまるで共通点が見当たらないように私には思える。少なくとも、「痛む記憶」と「能力の剰余」を同じものとみなすことはどう考えても不可能である。となると、そもそも同じ現象を退屈と呼んでいるのかどうかさえ疑わしい。そのことも、國分が退屈の定住革命起源説を忘れてしまっていると私が考える理由である。憶えているのなら、二つの説のあいだの関係について、当然なんらかの説明があってしかるべきだ。
 
 さて、先に引用した退屈の「痛む記憶」原因説の説明のなかに、わからないことが三つある。一つめは、記憶が発しているという痛みとはどういう痛みのことを言っているのかということである。それは文字どおりの意味で傷が痛むときの痛み、たとえば誤ってカッターナイフで切ってしまい、血が出ている指先の傷口に感じるような痛みのことを言っているのだろうか。それとも、記憶が一般になんらかの刺激を意識にもたらすことを比喩として「痛み」と言っているにすぎないのだろうか。私にはまずそこがわからない。
 
 前者の意味であるなら、少なくとも私は現にほとんどの記憶からそのような痛みを感じることはないので、きっとまちがいだろうと思う。ここで「自分は記憶から痛みを感じることはないけれども、ほんとうは記憶は痛むものなのかもしれない」などと思う人がもしいるとすれば、その人はよほどものを考えない人である。後者の意味であるならまだ理解できないこともないけれども、今度は、なぜそれをわざわざ痛みなどという大げさな比喩で表現しなければならないのかがわからない。とりあえず、前者の解釈は私にはバカげているとしか思えないので、ここでは後者が正しいことにして話を進めよう。
 
「痛む記憶」という表現に、いかなる記憶も例外なく苦痛となる要素があるという意味が込められていることは明らかである。どんなに幸福だったときの記憶も、いまそれが失われているとすれば、それ自体が不幸の原因となりうる。だれでも知っていることだ。こういう後ろ向きな考え方はじつに私好みだが、それはいいとして、わからないのは、どうしてそれが退屈の原因の説明に役立つと考えたのかである。ここまでの國分の議論をまとめるなら、退屈とは、うまく順応できなかったある特定のサリエンシーの記憶から生じる痛みのことである。そのことを説明するために、それ以外の記憶もすべてほんとうは痛いことにする意味がどこにあるのだろうか?
 
 ひょっとして國分は、いかなる記憶も場合によっては退屈の原因になりうるというようなことをほのめかしているのだろうか? あらゆる記憶が痛むことを強調する理由があるとすれば、それくらいしか私には思いつかない。では、仮に國分の意図が私の思ったとおりだったとして、それはほんとうに正しいのだろうか?
 

「痛む記憶」は退屈ではなく不安のメカニズムではないか

 
 國分は、最初に引用した退屈の「痛む記憶」原因説の説明のなかで、「記憶という傷跡の参照」という表現を、記憶が痛むこととほぼ同じ意味で用いている。
 
 ふつうに両者をつなげて読むなら、國分は、記憶の痛み、すなわち退屈は、記憶という傷跡、すなわち「痛む記憶」を参照することによって生じると主張していると理解して差し支えないだろう。問題は、言うまでもなく「痛む記憶」を参照するとはどうすることなのかである。國分が言うには、私たちは退屈しているときにまさにそれをしているらしいのだが、私にはまったく心当たりがないのだ。これが二つめの疑問である。
 
「参照」の意味をふつうに理解すれば、それは単純に「思い出すこと」を意味するだろう。しかし、悲しかった出来事の記憶も、苦しかった出来事の記憶も、恐ろしかった出来事の記憶も、頭にきた出来事の記憶も、それ以外の不快な出来事の記憶も、それを思い出すときには、悲しみや、苦しみや、恐怖や、怒りや、不快さを反芻することはあっても、それに退屈することはない。
 
 つまり、一般に記憶は、それを思い出しているときにはその記憶についてのなんらかの感情を喚起するはずだから、それが直接退屈の原因になることはありえない。過去の思い出の回想に没頭できているあいだは、私たちが退屈することはないのだ。たとえば、腹が立った出来事を思い出して怒りながら同時に退屈している状態とはどういう心理状態なのか、あなたは想像できるだろうか? 少なくとも私には想像もつかない。
 
 もちろん例外として、退屈だった出来事を思い出して「あのときは退屈だったなあ」と思うことはある。しかし、そのことを突っ込んで考えると収拾がつかなくなりそうなので今回はやめておこうと思う。私たちは退屈な出来事を思い出して「退屈だったなあ」と思いながら、同時にそのこと自体にも退屈しているのだろうか?――いや、ほんとうにやめておこう。
 
 では、國分の言う「参照」が「思い出すこと」ではないとすれば、「思い出しそうになっている状態」のことだろうか? だが、「痛む記憶」なるものが私たちにとってなにか非常に不快な出来事なのならば、それを思い出すことを予感しつつ、それに抵抗して生じる心理状態とは、「退屈」というより「不安」と呼ぶべき感情なのではないかと私は考える。そもそも國分は、「傷と運命」において、退屈と不安をちゃんと区別して考えているのだろうか? 私には國分はこの区別の必要性に気づいてさえいないように思えるが、過去の不快な出来事を原因として生じる感情を問題にしている以上、「退屈」と「不安」を区別することは國分の議論において必要不可欠であるはずだ。
 
 じつは「傷と運命」は、退屈ではなく不安のメカニズムの解説をしていると思って読むと、思いのほかすんなりと納得できるのだ。最初から不安のメカニズムを説明していると思って読めば、「参照」を「思い出すこと」と解釈しても、なんの問題もなく読める。たとえば、腹が立った出来事を思い出して怒りながら、同時に「また同じようなことがあったらどうしよう」という不安がきざすときの心理状態ならば、先ほどとはちがい、私は細部の感覚の微妙なニュアンスにいたるまでリアルに想像できる。そしてなにより、それなら「いかなる記憶もすべて痛む」とされる理由も納得できる。
 
 また、そう考えると別の問題も出てくる。それは、國分が構想する記憶の理論において、ほんとうに國分の言うとおりのメカニズムで退屈が生じるのだとしたら、不安はどのようなしくみで生じるのかという問題である。それはやはり退屈とは異なるメカニズムで生じるのだろうか? 「退屈」と「不安」は異なる心理状態である以上、無論そうでなければおかしいだろうが、この問いに國分はどう答えるのだろう?
 
 それも興味深い問題ではあるけれども、いい加減脱線しすぎだろうから、そろそろ三つめの疑問の検討に移ろう。それはすなわち、そもそも「痛む記憶」とは、どのような記憶のことかという問題である。
 

「痛む記憶」とはどのような出来事の記憶のことか

 
 國分の言う「痛む記憶」とは、思い出すことのできない記憶である。
 
 先ほども検討したとおり、もしも「痛む記憶」の内容を思い出せてしまうとしたら、それは退屈とは別の感情の原因になってしまう。それに、もしも人が暇になるといつもそのことを思い出してしまう記憶があるような状態になるとすれば、それは退屈ではない別のなにかである。とりわけ、それが不快な記憶であるならば、國分も書いているとおり、それはトラウマやPTSDと呼ぶべき記憶だろう。暇さえあればそんな記憶が襲ってくるような状態になれば、人は恐ろしくて退屈などしていられなくなるにちがいない。
 
 思い出すことができないものを記憶と呼んでいいのかどうか疑問がなくはない。だが、たとえば一年前の同じ日に食べた夕食のメニューのように、確かに経験しているはずでも、それを思い出すことができない出来事はいくらでもあるから、そういうものを「思い出せない記憶」と呼んでも差し支えないだろう。もっとも、國分の説明の口ぶりからすると、「痛む記憶」はトラウマやPTSDに引けをとらないくらいショッキングな記憶のようだから、どういうしくみでそれを思い出せなくなるのかという問題も当然無視できない。が、ここでは疑問を呈しておくにとどめよう。問題は、そのような記憶のうちのどれが、人間が退屈することの原因になっているのかということである。
 
 ここで、これまで自明の前提として話を進めてきたことをもう一度しっかりと確認しておこう。退屈は、ごく一部の限られた人たちだけが体験することではなく、大多数の人が経験することである。そして、記憶には当然その元となる出来事がある。したがって、だれもがみな多かれ少なかれ経験する退屈の原因となる出来事は、だれもがみな多かれ少なかれ経験する出来事であるはずだ。國分は記憶の個人差を強調しているけれども、ほぼすべての人が経験する退屈の原因となるサリエンシーが、人によってすべて異なると考えるのは不自然である。もちろん、それがたった一つだけとは限らないが、大多数の人に共通する原因となるような出来事は、いくつかにしぼれないほうがおかしいだろう。
 
 そして、なんらかの出来事が人が退屈するようになる原因であるとすれば、当然その出来事を経験する以前には人は退屈しないはずである。國分は人生のうちのある限られた時期のことを問題にしているわけではないけれども、少なくとも退屈の原因となる出来事のうちのいくつかは、私たちが退屈というものを意識する以前、おそらくはもの心つく以前に経験しているはずの出来事であるにちがいない。それなら私たちが思い出せなくても無理はないだろう。
 
 これだけしぼられてくれば、すぐにでもその出来事がなんであるかわかりそうなものだ。しかし今度は、どうすればその出来事が私たちが退屈するようになる原因であるとわかるのかという厄介な問題があることに気づく。私たちが自力で思い出せなくても、幼い子供の成長を観察していればわかりそうな気もするが、退屈の根本原因が、その子供が退屈を言葉にして訴えはじめる以前に経験したどの出来事なのかを特定することは、そうかんたんなことではない。それはその直前に起きた出来事かもしれないし、もっと以前に経験した出来事かもしれない。その上、退屈しているときに思い出すわけでもない出来事を、どうすれば特定できるのだろう? 残念ながら、私には皆目見当もつかない。
 
 当然のことだが、もしも退屈の根本原因になっているという「痛む記憶」を一つも特定できないとすれば、どうしてそれが退屈の原因であるなどと言えるのかというさらに厄介な問題を避けて通ることはできない。だいたい、その例を一つも挙げられないようなものを、わかっていると言えるかどうかすらあやしい。にもかかわらず、國分はただサリエンシー、サリエンシーとくり返すばかりで、「痛む記憶」の例を一つも提示していない。それにしても、「絶対に避けられない運命」*6とまで断言するものの例を一つも示さないというのは、いったいどういうことなのだろうか。國分は、自分がどういうことを主張しているのかほんとうにわかっているのだろうか?
 
 いい加減少しも正しいと思えない議論につきあうのに飽き飽きしてきたので、このあたりでやめにすることにしよう。以上のように、退屈の「痛む記憶」原因説は、疑問点だらけのまるで見込みのない仮説であると私は考える。率直に言って、それは熊谷晋一郎の説に影響されたたんなる思いつきの域を出ていない。ここまで私が書き連ねてきた疑問点の数々は、どれもだいたい単純で素朴なものだが、國分がこの仮説にしがみついている限り、いつまで経っても解決する見込みのない問題ではないかと思う。これ以上傷口が大きくならないうちにさっさとこんな説は放棄して、もう一度退屈の定住革命起源説を再検討なさることを強くお勧めしたい。というか、『欲望と快楽の倫理学』をほんとうに書く気があるのなら、そうでなければ話にならない。
 
 それにしても、われながら10ヶ月もブランクがあったとは思えないほどの絶好調ぶりである(笑)。「哲学がぜんぜんできなくなっていたらどうしよう」と少しくらいは心配していたのだが、まったくその必要はなかったようだ。なんだかんだ言っても、けっきょく私は哲学が好きなのだろうと思う。今回はつくづくそのことを思い知った。
 

参考文献

暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学

  • 作者:國分 功一郎
  • 発売日: 2011/10/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)

ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)

  • 作者:國分 功一郎
  • 発売日: 2013/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:國分功一郎『暇と退屈の倫理学 増補新版』太田出版,2015年,p.414

*2:同前,p.254

*3:同前,pp.427-428

*4:同前,p.423

*5:同前,p.428

*6:同前,p.432