哲学を学ぼうと考える人がプラトンの対話篇を手に取ることは、いくつかある哲学へのよい入口の一つではなく、考えうる最良の入口である。そして、みずから哲学することをはじめたければ、人はできるだけはやくプラトンの対話篇と出会い、ソクラテスをはじめとする登場人物たちとみずから対話しなければならない。

プラトン全集〈1〉エウテュプロン ソクラテスの弁明 クリトン パイドン
- 作者: プラトン,今林万里子,松永雄二,田中美知太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/01/25
- メディア: 単行本
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このように書くと、すぐさま時代錯誤の権威主義の腐臭を嗅ぎ取られ、敬遠されることだろう。事実、そうした予断と偏見がプラトンやアリストテレスといった過去の偉大な哲学者たちの書物から多くの読者を遠ざけている。だが、過去の哲学者たちがそれぞれの探究においてどこまで到達していたかを知らずに、自分の力で哲学を開始することなどできるだろうか。そうした先駆者たちの積み重ねた成果を知ることによってはじめて、さらにそこにつけ加えるべきなにがあるかを考えることができるようになる。
それはなにより、知の探求者を無知による発見のまぼろしから遠ざけ、失望と落胆をともなう無益なまわり道をすることを防いでくれるだろう。ゆえにそれは、人が自分自身で考えることの出発点にたどり着くための最も安全な道でもある。「自分の考えをもつこと」が「その人独自の思想を創造すること」を意味するなら、それはこの出発点からしか生まれない。
もちろん、哲学の古典を読むことは、決して過去の哲学者の思想を無批判に受け入れることではない。無批判に受け入れることを容認するならば、それは思考ではなく信仰である。フランスの哲学者ジャック・デリダが述べているように、遺産相続は批判による選別を経たものでなければならない。*1そして言うまでもなく、プラトンほど多くの批判にさらされてきた哲学者はいないだろう。
では、人は過去の哲学者たちの遺産のうち、相続すべきものとそうでないものをなにによって区別すべきだろうか。その方法もまた、プラトンをはじめとする哲学者たちとの対話をつうじて見つけなければならない。
プラトンの対話篇を読むと、現代人が古代の人々に対して多かれ少なかれ抱いている「バカげた迷信にとらわれた無知で愚かな人々」というイメージは根底から覆される。たとえば、プラトンがまさに信仰の本質を問うた初期の対話篇『エウテュプロン』では、信仰者の美徳である「敬虔」とはなにかを問う有名な問いがソクラテスによって提起されている。
敬虔なものは、敬虔なものであるから神々によって愛されるのであろうか、それとも愛されるから敬虔なものであるのだろうか?*2
問いの意味がわからず困惑するエウテュプロンに、ソクラテスは、「敬虔なもの」は「敬虔なもの」に特有の性質によって神々に愛されるのであり、それは「正しいもの」の一部であると説明する。対話の末、エウテュプロンは、「敬虔なもの」とは神々に祈りと犠牲を捧げることであると答える。これに対しソクラテスは、祈りとは神々に対する請願であり、犠牲とは神々に対する贈り物であるから、「敬虔なもの」とは神々と人間とのあいだの交易術ではないかと応じ、ようやく二人の意見は一致したかのように見える。
だが、対話はまだ終わらない。ソクラテスはさらに、神々に対する贈り物とはどのようなものであるかを明らかにしようとする。
正しい贈物の仕方とは、神々がちょうどわれわれから受け取ることを必要とされているもの、そのものをかれらにこんどはわれわれの方からお返しに贈ることではないか。なぜなら、何も必要のないものを誰かに贈物として与えるなんて、およそ贈物をする術に適ったことではなかろうからね。*3
神々への贈り物が神々の必要とするものを与えることなのだとすれば、神々はそこからいかなる利益を得るのかとソクラテスは続けて問う。この問いにエウテュプロンは答えられず、ソクラテス自身にもその答えはわからない。無論、それは畏れおおくも神々をより善き者にすることを手助けするようなものでは決してないだろう。しかし、少なくともそれは神々に愛されるものであるはずだ――こうして議論は行きづまり、アポリアに陥る。ただ「無知の知」とだけしか知られていないソクラテスの思想の背景には、こうした「知らないということを知る」にいたるまでの徹底した討議の積み重ねがあるのだ。
不敬神の咎で告発され、死刑に処せられたソクラテスではあったが、ソクラテス自身は無神論者ではなく、ゼウスを最高神とするギリシャ神話の神々を篤く信仰していたとされる。神々はなぜ人間の敬虔な行いを必要とするのか、それはわからない。だが、神々は人間に正しく生きることを命じているとソクラテスは信じていた。
「いやしくも神であるからには、真に善き者であるはずであり、そしてそれをそのとおりに語らなければならない」。*4この信仰に基づき、プラトンは、主著『国家』において当時広く流布していた神々にまつわる迷信を厳しく告発している。そこでは、すでに当時広く人々の称賛と尊敬を集めていたヘシオドスやホメロスといった偉大な詩人たちの叙事詩が俎上に載せられ、そこに描かれた神々が神々と戦争し、互いに憎しみあい、謀略をめぐらしあう物語や、神々とその子である英雄たちによる悪しき行いや愚かなふるまいを伝える物語が、信じるに値しない作り話として次々に斥けられていく。
われわれは作家(詩人)たちに対して、これら神々の子はそうした所業をしなかったと言わせるか、あるいは、そういう所業をしたこの者たちは神々の子ではないと言わせるようにして、その両方ともを肯定的に語らせないようにしよう。また神々が悪いものを産むこと、半神の英雄たちとても人間より何らすぐれてはいないというようなことを、われわれの若者たちに信じさせようと企てるのも許さないようにしよう。なぜなら、われわれが前に言っていたように、そうした内容は敬虔でもなければ、真実のことでもないのだから。*5
神々でさえ悪を免れえないと信じるならば、人はみずからの悪行に対しても寛容にならざるをえないだろう。なによりそれは、善を学ぶべき若者たちに悪い影響を与えるにちがいない。プラトンのこうした思想は、『国家』の後半において悪名高き詩人追放論へと発展していく。いまはその当否はおくとして、こうした神話をも批判の対象とする真理の探究は、人を「ただ信じること」から限りなく遠いところへと導いていくだろう。すでにプラトンの時代から、哲学は迷信との戦いであったのだ。
ここで注目すべきは、プラトンの神話批判において、善は神話の真偽を判断するための基準となっていることである。善を体現しないような神は神ではない。新プラトン主義を介してキリスト教神学へと受け継がれたこのプラトンの道徳神学は、のちのドイツの哲学者イマヌエル・カントの道徳哲学を先取りするものでもある。
福音書の聖者〔イエス〕でさえも、われわれがかれを聖者と認めるに先立って、まずもって道徳的完全性についてのわれわれの理想と比較されなければならないのであって、事実かれは自分自身についてこう語っている。「なぜ汝らは(汝らが見る)私を善い者と言うのか。(汝らが見ない)唯一の神のほかに善い者(善の原型)は誰一人いない。」*6
では、イデアのなかのイデアである善とはなにか。プラトンによれば、それは人が「ただ生きる」のではなく「善く生きる」ために必要不可欠の価値であり、人生の究極の目的である。プラトンにとって、哲学とは至高の価値を探究することであり、またそれを見極める唯一の方法にほかならなかった。
ぼくたちにとって、それは依然として動かないのか、否かということを、よく見てくれたまえ。それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだというのだ。*7
『クリトン』において、脱獄するよう獄中のソクラテスを説得しようとするクリトンに対し、毅然とソクラテスが問いかけたこの問いは、いまも哲学が対峙すべき問題の中心であり続けている。「善く生きる」とは、いかに生きることを意味するのか。これからプラトンと対話しつつ、この問いについて考えていくことにしよう。
参考文献

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