ジル・ドゥルーズの哲学は、なによりその難解さで悪名高い。とりわけフェリックス・ガタリとの共同執筆を開始してからのテクストは、もはやそこでなにが論じられているのかさえわからないと匙を投げる人は専門の哲学研究者のなかにさえ多く、あげくの果てには、ミシェル・フーコーやジャック・デリダといった、他のいわゆるポストモダン思想家と一括りに相対主義のレッテルを貼って片づけてしまう竹田青嗣のようなエセ哲学者がのさばる始末だった。
それゆえ、日本ではドゥルーズの名を広く知らしめた浅田彰のベストセラー『構造と力』(勁草書房)に端を発した80年代のニューアカ・ブームが終息して以降、ドゥルーズの哲学は長らく誤解と無視にさらされてきた。それが日本の人文思想界全体に停滞と閉塞感をもたらし、カントやヘーゲルやニーチェといった一世紀以上まえの哲学者ばかりがもてはやされる退行した状況を生んでもいた。
もちろん、その原因の一端はドゥルーズ自身のテクストにあったことは否定しようのない事実だろう。だが、みずからの陳腐な道徳や価値観に照らしてテクストを評価することが読解だと勘違いしているような、哲学書を読み解く能力をもたない批評家や自称哲学者が長年日本の人文思想界を牛耳ってきたこともまた、私たちにとってそれ以上に不幸なことだったと言わねばならない。
しかし、いまや状況は変わった。
いま、日本の人文思想界は、萱野稔人、佐藤嘉幸、千葉雅也といった、ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリのテクストを自在に読みこなし、なかでも『アンチ・オイディプス』(1972年)や『千のプラトー』(1980年)といったフランス現代思想の最難関とされるテクストを縦横に駆使しながら新しい哲学を創造しようとする、才能あふれる哲学者たちが活躍する新たな時代を迎えている。
これから紹介する『思想』2011年第11号に掲載された論文「ドゥルーズの哲学原理(1)――自由間接話法的ヴィジョン――」の著者である國分功一郎もまた、この新たな時代を生み出した哲学者の一人にほかならない。
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ドゥルーズの自由間接話法をテーマとする本論文では、ドゥルーズがみずからの哲学の方法に言及したテクストを網羅するように参照しながら議論を組み立てていく、國分らしい堅実な仕事ぶりが遺憾なく発揮されている。これからドゥルーズの哲学を学ぶ人にとっても、すでにドゥルーズの哲学に親しんでいる人にとっても、その理解を深めるための大きな助けとなる論考であり、第一級のドゥルーズ入門書の完成を予感させるのに十分な序章であると言っても過言ではないだろう。
それでは、本論文の議論を順に追ってみることにしよう。
ドゥルーズの哲学をめぐる状況
本論文の冒頭では、ドゥルーズの哲学をとりまく現在の状況が概観されている。國分によれば、現在のドゥルーズ研究は、ドゥルーズの思想に政治思想としての可能性を見出そうとするグループと、ドゥルーズの思想には政治に活用しうる要素はないと切り捨てるグループとに大きく二分されているという。前者の立場を代表する論者として挙げられているのはアントニオ・ネグリやマイケル・ハートであり、後者の立場を代表するのがスラヴォイ・ジジェクやアラン・バディウである。ジジェクによれば、ドゥルーズのテクストに政治性がみられるとすれば、それはガタリ化されたドゥルーズにすぎず、ドゥルーズ自身は一貫して政治には無関心なエリート主義者であったということになる。
この対立の決着は次回以降の論文に持ち越されてはいるが、國分がどちらの側に立つかは自明であるように思われる。その理由は言うまでもなく、ドゥルーズの思想を政治に活用する道を模索するほうが有意義だからだ。そんなものは政治を論じる役には立たないと断じて歴史の屑籠に放り込んでしまうような議論からはなにも生まれはしない。仮に結果としてドゥルーズと袂を分かつことになるにしても、そのときにはドゥルーズの理論に代わる新たな哲学原理を手にしていなければならないだろう。幸いなことに、私たちは名著『スピノザの方法』(みすず書房)を生んだ確かな見識をもつ哲学者にそれを期待することができる。
自由間接話法の問題
ドゥルーズの哲学原理の探究は、それに対するバディウの批判の検討からはじまる。バディウによれば、ドゥルーズが他の哲学者を論じたテクストは、つねに自由間接話法を用いて書かれているために、それが論述対象を説明するものなのか、それともただドゥルーズ自身の思想を語っているだけなのかがいつもあいまいになっているという。バディウは、ドゥルーズは論述対象とした哲学者の思想をみずからの概念を説明する事例として利用しているにすぎないと批判している。
バディウが「ドゥルーズの読者たちをじつにしばしば驚かせたこと」として指摘しているのは、ドゥルーズの著作にはその論述対象にはとても帰することができないように思われる論述が見出されるということである。上で引用された『フーコー』からの一文は、ミシェル・フーコーの著作からの引用ではないのはもちろんだが、それを報告するものとも思えない。そこにフーコーの言表が書き記されているとはとても思えない。ならば、フーコーを論じたドゥルーズのテクストで「語っているのは誰か?」*1
自由間接話法では、論述対象の思想が主語を明示されることなく地の文に記述される。國分が挙げている例に従えば、間接話法では「彼はそれは間違いだと述べた」と記述される文章は、自由間接話法ではただ「それは間違いだ」とだけ記述されることになる。ゆえに、自由間接話法が成功しているかどうかは、そのフレーズが挿入されるテクストの文体やコンテクストと、なにより記述者自身の技巧に強く依存する。したがって、自由間接話法を規則として一般化することはできない。「おそらくそれが規則化できると考えることは、芸術の創造の条件を規則化できると考えることであろう」*2と國分は言う。
國分は、ドゥルーズが自然に自由間接話法を用いているとみなせるのならば、そこで論じられている事例、すなわち論述対象そのものが思考されていないはずはないとバディウを批判している。*3だが、自由間接話法が成功しているかどうかを確認するためには、論述するテクストと論述されるテクストとを比較対照することが必要不可欠なはずである。その点は、直接話法で記述された説明であろうと間接話法で記述された説明であろうと変わらない。哲学論文に引用が必要とされるのも、それによって論述の妥当性を裏づける必要があるからである。ゆえに、論述するテクストの内容のみから自由間接話法の成功・不成功を論じることには意味がない。
その意味で、哲学論文においては引用以外のテクストはすべて検証の対象とされなければならず、自由間接話法の成功・不成功もまた、個々の論述箇所ごとに確認される必要があるだろう。言うまでもないことだが、それが規則化できない以上、それが一つのテクストにおいて終始一貫して成功し続けている保証はどこにもないからだ。この点について、私は國分のバディウ批判に疑問があるが、それはここでは重要ではない。重要なのは、ドゥルーズがなぜ自由間接話法を用いるのかという問題である。
ドゥルーズの方法
ドゥルーズはなぜ自由間接話法を用いるのか。この問題を論じる際に國分がテクストとするのは、ドゥルーズがヒュームを論じた処女作『経験論と主体性――ヒュームにおける人間的自然についての試論』(1953年)である。國分は、そのなかに見られるドゥルーズの方法のある注目すべき特徴を指摘している。
それぞれの事例における「事情」こそが、「あれよりはむしろこれが」を説明する。この事情の概念こそ、ヒュームがあらかじめ用意していたベルクソンに対する返答なのだ、とドゥルーズは言う。しかし、上記引用部でドゥルーズが引用しているヒュームのテクストを読んでも分かるように、「事情」はヒュームによって意識的に概念として提示されているわけではない。「事情」はそれこそ普通名詞として現れているに過ぎない。*4
ここで重要なのは、ドゥルーズの指摘するとおり「事情」の概念がベルクソンへの反論として成功しているかどうかではなく、「ドゥルーズが、論述の対象となっている哲学者によって意図的に概念として使われていたわけではない言葉を概念化して提示している」*5ことである。これはなにを意味するのだろうか。この問いには、ドゥルーズ自身のテクストが答えてくれるだろう。國分に倣って引用しよう。
哲学的理論とは展開された問なのであって、それ以外の何ものでもない。なぜなら、哲学的理論の本領は、それ自体によってもそれ自体においても、問題を解決することにあるのではなく、明確に述べられた問に必然的に折り込まれている意味を徹底的に展開することにあるからである。問が適切でありかつ厳密であるという前提のもとに、哲学的理論は、ものごとはどうなっているのか、ものごとはまさにどうなっていなければならないのかを、わたしたちに教えてくれるのである。*6
ドゥルーズのテクストはこの実践である。したがって「事情」とは、「明確に述べられた問に必然的に折り込まれている意味」としてドゥルーズが提示した概念にほかならない。それは、論述対象の哲学者がそれとは知らずに提示していたみずからの哲学の理論に不可欠の構成要素である。
こうした思考の実践においては、テクストが論述対象の哲学者の思想を忠実になぞっているかどうかではなく、論述対象の哲学者が取り組んでいる問いが展開する地平こそが重要となる。それだけではない。このような方法こそが、ただ研究対象の思想をわかりやすく解説したり、手際よくまとめたりするだけの哲学研究を超えて、哲学者が課題とすべき真の問題にほかならない。
論述対象の哲学者が取り組んだ問題を、その哲学者に寄り添って思考するためには、その哲学者の「哲学的理論の生成を促した問いにまで遡らねばならない」。*7そしてそれは、その哲学者が問いを展開した地平へと到達することと不可分である。ドゥルーズが思考のイメージとも内在平面とも呼ぶ、問いを構成する諸概念と、諸概念を構成する諸概念とによって形成された、問いに先行し、それを可能にする概念のネットワーク。そこに到達するためにドゥルーズが採用した方法こそが自由間接話法であったのだと國分は言う。
思考のイメージへと到達することは、論述対象となっている哲学者が語っていることだけを論じているのでは実現しない。論述対象となる思考が定位している平面に論述そのものが定位しなければならないのである。その時、論じる者と論じられる者との区別は限りなく曖昧になる。それを曖昧にすることで一息に論述対象の思考のイメージへと遡るのだ。*8
そうして到達した内在平面において、論述対象の哲学者が立てた問いそのものを批判すること。その過程を、國分は今度は最晩年の『哲学とは何か』(1991年)におけるデカルトのコギトとそれに対するカントの批判を論じたテクストを読解しながら精緻に解き明かしていく。ドゥルーズによれば、哲学とは概念を創造する学問である。そして、問いの批判こそは、新たな問いを発見し、新たな概念を創造するための唯一の方法にほかならない。
これは、ドゥルーズの哲学を学ぶ人のみならず、みずからの哲学を作り上げることをめざすすべての人が繰り返し立ち戻るべき哲学の原点である。哲学におけるあらゆる問いは、すべてこのようにして問われ、問い直される。「ドゥルーズの哲学原理(1)」は、読者すべてをこの不変の出発点へと手を取って導いてくれる、すぐれた哲学入門でもある。
次回以降に持ち越された課題
本論文の最後に、國分は、次回以降の論考において、「問いの批判」を鍵としてさまざまな考え方が共存する哲学史全体を再解釈し、そのなかでドゥルーズの哲学が位置づけられる問いの系譜を解明することを予告している。それ自体も非常に興味深い問題だが、それ以上に私が関心を引かれたのは、本論文の最初のほうで提示されている、ドゥルーズの思想とドゥルーズ=ガタリの思想とのあいだにいかなる線引きをするのかという問題である。大いに期待しつつ、今後の展開に注目していきたい。
とはいえ、ここまでの論考において疑問に思うこともある。先にふれたバディウに対する批判についてもそうだが、それよりも重要だと思われるのは、ドゥルーズの方法が問いそのものの批判にあるのはそのとおりであるとして、それによって展開され、批判された問いを記述したテクストを、なおも自由間接話法と名指すことは適切なのかという問題である。國分は正しくも、そのように展開された問いのうちにドゥルーズの思想の所在を見出している。*9であればなおさら、それを記述したテクストを自由間接話法と呼ぶことの是非は問われてしかるべきだろう。
なにより、本論文は『スピノザの方法』をはじめて読んだときの興奮を私に思い出させてくれた。國分功一郎はこうでなくてはならない。この調子で最後までいい仕事をしてくださることを願っている。
参考文献
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